先輩の先生から、昔こんなことを言われたことがあります。
「職員室で嫌なことがあっても、家庭で嫌なことがあっても、教室に入るときは満面の笑みで入るんだよ」
「教師は俳優でもあり、女優でもあるんだから、そこは演じきるのよ」
この言葉は、今でもよく覚えています。
最初に聞いたときは、なるほどなと思いました。
そして、自分でもできるだけそうしようと思ってきました。
朝、教室に入るとき。
できるだけニコニコして、
「おはよう」
と言って入る。
すると、子どもたちも笑顔で返してくれます。
教室の空気が少し明るくなります。
自分自身も、それまで悩んでいたことを少し横に置いて、今ここにいる子どもたちと向き合えるようになります。
これは、本当にあると思います。
教師の表情は、教室の空気を変えます。
教師の表情や声のトーンは、思っている以上に子どもたちに伝わります。
こちらがイライラしていると、子どもたちにも伝わります。
こちらが暗い顔をしていると、教室全体が少し重くなります。
逆に、こちらが明るく入ると、子どもたちも少し安心します。
担任の存在は、それくらい大きいです。
ただクラスを任されているだけではありません。
その子たちの一年間は、その担任とともにあります。
子どもたちの人生の中の一年間に、自分という大人が深く関わっている。
六年生のときの担任。
四年生のときの担任。
あのときの先生。
そうやって、子どもたちの記憶の中に残っていく仕事です。
そう考えると、教師という仕事は本当に責任が重いです。
でも同時に、すごくやりがいのある仕事でもあります。
ただ、いつも笑顔でいられるわけではありません。
もちろん、きれいごとだけではありません。
教師だって人間です。
職員室で嫌なことがある日もあります。
家庭でしんどいことがある日もあります。
いらない生活指導が入って、心が乱れる日もあります。
朝から疲れている日もあります。
そんな日は、教室に入るときにも、少し暗い顔になってしまうことがあります。
イライラが残ってしまうこともあります。
そして、その空気は子どもたちに伝わります。
自分でも分かるんです。
今日の入り方はよくなかったな、と。
子どもたちに当たったわけではなくても、自分の中の重さが教室に持ち込まれてしまったな、と。
教師は俳優である。
この言葉は、今でも大事だと思っています。
でも、同時に思うんです。
演じ続けるだけでは、どこかで苦しくなるのではないか、と。
教室は舞台で、Substackは舞台裏なのかもしれません。
教室では、教師として立ちます。
子どもたちの前に立つ以上、ある程度は整えます。
表情を整える
声を整える
姿勢を整える
気持ちを整える
それは、子どもたちを安心させるために大切なことです。
でも、その裏には、教師としての迷いや疲れや葛藤があります。
本当はしんどかった日
笑顔で入ったけれど、心の中ではギリギリだった日
子どもたちの前では言えなかったこと
職員室でも言葉にできなかったこと
そういうものが、教師の中には積み重なっていきます。
ぼくにとって、Substackはその舞台裏を言葉にできる場所になっています。
教師の舞台裏にも、価値があります。
教師は、子どもたちの前では明るく振る舞うことがあります。
でも、その明るさの裏には、いろいろな葛藤があります。
どう声をかければよかったのか。
あの子への対応はあれでよかったのか。
クラスの空気を悪くしてしまったのではないか。
休んだことで迷惑をかけたのではないか。
自分は教師として続けていけるのか。
そういう問いは、すぐに答えが出るものではありません。
でも、書くことで少し整理できます。
自分の中にあったモヤモヤが、言葉になる。
言葉になると、少し距離が取れる。
距離が取れると、また明日教室に入る準備ができる。
Substackには、そういう力があるように感じています。
書いた言葉が、誰かに届く。
Substackの面白さは、ただ文章を書けることだけではありません。
書いたものが、読者に届くことです。
購読してくれている人のメールに、自分の記事が届きます。
それを読んで、いいねをくれる人がいます。
コメントをくれる人がいます。
リスタックして紹介してくれる人もいます。
教師としての葛藤を書いたときに、
「自分も同じように感じています」
「こういう言葉に救われました」
「学校現場のことを少し考えるきっかけになりました」
そういう反応が返ってくることがあります。
これは、かなり大きいです。
教室では言えなかった舞台裏の言葉が、誰かの心に届く。
それがまた、自分の支えになる。
書くことが、ただの発散ではなく、誰かとのつながりになる。
ここがSubstackの面白さだと思います。
教師こそ、書く場所を持ったほうがいいです。
教師という仕事は、かなり感情を使います。
子どもの表情を見る。
声のトーンを聞く。
友達関係の変化に気づく。
保護者の思いを受け止める。
職員室の空気も読む。
毎日、目に見えないものをたくさん受け取っています。
でも、それを外に出す場所はあまりありません。
守秘義務もあります。
子どもや家庭が特定されることは書けません。
職場の愚痴をそのまま書くのも危ないです。
だからこそ、丁寧に抽象化して書く必要があります。
個人が特定されない形で、教育の本質や自分の学びとして書く。
これは、教師にとってかなり意味があると思っています。
Substackは、その場所としてすごく相性がいいです。
速すぎない。
流れすぎない。
文章を読む人がいる。
コメントが返ってくる。
読者との関係が少しずつ積み上がっていく。
この空気が、教師の内省に合っています。
教室で演じることと、文章で正直になること。
教室で笑顔を作ることは、嘘ではありません。
それは、子どもたちへの責任です。
子どもたちを安心させるための技術です。
でも、ずっと演じ続けるだけでは、自分の心が置き去りになります。
だから、どこかで正直になる場所も必要です。
ぼくにとって、それがSubstackです。
教室では、子どもたちの前に立つ教師として整える。
Substackでは、一人の教師として、自分の中にある迷いや気づきを言葉にする。
この二つは、矛盾しません。
むしろ、両方あるから続けられるのだと思います。
教師の言葉は、誰かの学びになります。
教師の毎日は、ただの日常ではありません。
子どもの一言。
教室の空気
朝の入り方
自分の表情
クラスの変化
保護者とのやりとり
自分の失敗
自分の迷い
それらは全部、言葉にすると誰かの学びになります。
同じように悩む先生に届くかもしれません。
学校のことを知りたい保護者に届くかもしれません。
教育に関心がある人に届くかもしれません。
自分自身の明日の授業にも返ってくるかもしれません。
そう考えると、教師が書くことにはかなり価値があります。
完璧な教育論を書く必要はありません。
きれいな正解を書かなくてもいいです。
むしろ、現場で感じた小さな違和感や、心に残った言葉のほうが届きます。
まとめます。
教師は、教室に入るとき、少しだけ俳優になります。
嫌なことがあっても、子どもたちの前では笑顔で入る。
明るい声であいさつをする。
教室の空気を整える。
それは、教師として大切な技術です。
でも、演じたあとの自分の気持ちを、どこかで言葉にすることも大切です。
教室は舞台です。
Substackは、舞台裏を言葉にできる場所です。
教師としての葛藤。
子どもたちへの思い。
笑顔で入ることの意味。
うまくできなかった日の反省。
それらを丁寧に書いていくことで、自分の中でも整理されます。
そして、その言葉が誰かに届きます。
教師という仕事は、子どもたちの一年間の思い出に残る仕事です。
だからこそ、日々の小さな気づきを、言葉として残していきたいです。
教室では笑顔で。
Substackでは正直に。
その両方があることで、ぼくはまた明日、教室に向かえるのだと思います。
#サブスタ盛り上げ隊
substackをどんどん盛り上げていきましょう!









先生って大変ですよね。いつも子供たちをありがとうございます🌱
先生も人間なのでしんどいこともある。
そりゃそうですよね。
その感情を出せる場所があるって大切さですね✨