ある日の小学校での出来事です。
休み時間に、子ども同士のトラブルがありました。
最初は、勘違いから始まりました。
ある子が、友達同士のやりとりを見て、
「もめているのではないか」
と思ったようです。
そして、相手の子の肩を叩いてしまいました。
もちろん、勘違いだったとしても、人を叩くことはよくありません。
その場にいた先生は、最初に叩いた子に対して、
「勘違いだったとしても、叩いてはいけない」
と厳しく指導しました。
そこは、当然です。
理由があったとしても、先に手を出してはいけません。
その後、叩かれた子にも話をしました。
相手は勘違いして叩いてしまったこと。
でも、叩き返すこともよくないこと。
腹が立ったときには、暴力ではなく言葉で伝えること。
そういう話をしました。
ところが、その子はなかなか納得できませんでした。
「やられたから、やり返しただけ」
その言葉を繰り返していました。
その子の中では、とても筋が通っていたのだと思います。
先に叩かれた。
だから、自分はやり返した。
悪いのは先に叩いた相手であって、自分ではない。
そう感じていたのだと思います。
でも、学校としては、そこをそのままにはできません。
先に叩いた子が悪い。
それは間違いありません。
でも、叩き返してしまえば、今度は自分も暴力を使ったことになります。
叩かれた。
叩き返した。
また相手がやり返した。
さらに自分もやり返した。
それでは、終わりません。
暴力で返すと、暴力が続いてしまいます。
だから、学校ではこう伝えます。
「やられたからといって、やり返していいわけではない」
これは、相手に我慢しなさいと言っているのではありません。
泣き寝入りしなさいと言っているのでもありません。
自分の気持ちを消しなさいと言っているわけでもありません。
そうではなく、
「暴力以外の方法で、自分を守れるようになろう」
ということです。
嫌だったら、嫌だと言う。
やめてほしかったら、やめてと言う。
自分で言えなければ、先生に伝える。
その場から離れる。
助けを求める。
そういう方法を身につけていくことが大切です。
ただ、これが簡単ではありません。
今回の子も、すぐには納得できませんでした。
頭では説明を聞いていても、心の中では、
「でも、先にやってきたのは相手だ」
という思いが残っていたのだと思います。
その後も、気持ちの整理がつかないまま時間が過ぎました。
そして、帰る前になって、もう一度トラブルになりました。
先ほどのことが心の中に残っていたのでしょう。
相手の子のところに行き、また手が出てしまいました。
相手の子もやり返しました。
そこで、また先生が間に入りました。
もう一度、事実を確認しました。
最初に何があったのか。
誰が先に手を出したのか。
その後、誰がやり返したのか。
今回、また何が起きたのか。
一つずつ確認しました。
最初に叩いた子には、改めて厳しく指導しました。
勘違いだったとしても、叩いてはいけない。
相手に嫌な思いをさせたことは謝らなければいけない。
その子は、相手に謝りました。
その後、叩き返した子にも話をしました。
痛いところはないか。
けがはないか。
お腹は大丈夫か。
何度も確認しました。
そのうえで、
「あなたも叩いてしまったところはある」
「そこは言葉で言うべきだった」
「叩いたことについては、謝った方がいい」と伝えました。
でも、その子はやはり納得しきれませんでした。
「やられたから、やり返しただけ」
その思いが強く残っていました。
指導した先生は、そこでさらに話をしました。
叩いて返すと、また叩き返される。
それが繰り返される。
だから、暴力で返してはいけない。
自分を守るためにも、言葉で伝えることが大事なのだ。
そんな話をしました。
最終的に、その子も謝りました。
最後には、二人に確認しました。
まだモヤモヤしていることはないか。
気持ちは大丈夫か。
二人とも、大丈夫だと言いました。
それで、二人は家に帰りました。
しかし、家に帰ってから、状況が変わりました。
その子は家で、相手に叩かれたこと、お腹を蹴られたこと、お腹が痛いことを話したようです。
そして、泣き出したそうです。
保護者の方から学校に連絡がありました。
その後、学校で話をすることになりました。
保護者の方には、通訳の方にも入ってもらいながら、担任と指導に入った先生が、事実の流れを説明しました。
最初に相手が叩いたこと。
そこは厳しく指導したこと。
相手の子も謝ったこと。
一方で、叩き返したことについても、学校としては指導したこと。
暴力で返すと、さらにトラブルが続いてしまうこと。
だから、言葉で伝える力を身につけてほしいと話したこと。
一つずつ説明しました。
保護者の方は、子どもが不公平に感じていることを話されました。
先に叩かれたのは自分の子である。
それなのに、自分の子の方が悪いように指導されたと感じている。
そういう受け止めがあったようでした。
ここが、本当に難しいところです。
学校としては、最初に叩いた子を見逃しているわけではありません。
そこは厳しく指導しています。
でも、同時に、叩き返したことも見逃すことはできません。
先にやった子だけが悪い。
やり返した方は何も悪くない。
そうしてしまうと、暴力の連鎖を止めることができません。
一方で、子どもや家庭からすれば、
「先にやられたのに、なぜ自分も怒られるのか」
と感じることがあります。
ここに、学校の指導と家庭の受け止めのズレがあります。
今回、僕が強く感じたのは、指導の難しさです。
特に、言葉や家庭で大切にしている考え方が違う場合、学校の指導はさらに難しくなります。
学校では、
「暴力ではなく言葉で伝えよう」と教えます。
「やられたからやり返す」ではなく、
「嫌だったことを言葉で伝える」
「先生に助けを求める」
「その場を離れる」
そういう方法を教えます。
でも、それが子どもや家庭にすぐ伝わるとは限りません。
子どもの中には、
「やり返さないと負ける」
「やられたままでは納得できない」
「先にやった方が悪いのだから、自分は悪くない」
という気持ちがあります。
それは、その子なりの正義でもあります。
だからこそ難しい。
学校が教えたいことと、子どもが納得していることが違う。
学校が説明したことと、家庭が受け止めたことが違う。
そのズレがあると、指導は簡単には終わりません。
今回の件では、保護者の方とも話をしました。
学校としての考えを伝えました。
暴力で返すことを認めると、トラブルが続いてしまうこと。
自分を守るためにも、言葉で伝える力が必要なこと。
日本の学校では、そういう指導を大切にしていること。
そういうことを伝えました。
最終的には、保護者の方も一定の理解を示してくださいました。
ただ、子ども本人にはまだショックやストレスが残っているようでした。
だから、次の日にもう一度、担任の先生が本人の気持ちを聞くことになりました。
一回の指導で、全部が解決するわけではありません。
一回謝ったから終わり。
一回説明したから終わり。
そんな簡単なものではないのだと思います。
学校には、いろいろな背景を持つ子どもたちがいます。
家庭の考え方も違います。
言葉の壁があることもあります。
日本語が十分に伝わらないこともあります。
通訳が必要なこともあります。
子ども同士のトラブル一つをとっても、そこにはいろいろなものが重なります。
何が起きたのか。
誰が先だったのか。
誰が何をされたのか。
そのとき、どう感じたのか。
学校はどう指導したのか。
家庭はどう受け止めたのか。
一つずつ丁寧に確認しないと、すぐにすれ違います。
今、日本の学校では、多文化共生という言葉をよく聞きます。
いろいろな国や地域につながりのある子どもたちと、同じ学校で学ぶ。
お互いを尊重する。
違いを認め合う。
それは大切なことだと思います。
でも、多文化共生は、学校がすべて相手に合わせることではないと思います。
ここを間違えてはいけないと思っています。
日本の学校には、日本の学校として大切にしているルールがあります。
暴力で返さない。
嫌なことは言葉で伝える。
困ったときは先生に助けを求める。
相手の体を傷つけない。
集団の中で、決められたルールを守る。
これは、国籍に関係なく守るべきことです。
日本人の子どもにも伝えます。
外国につながりのある子どもにも伝えます。
どの子にも、同じように伝える必要があります。
外国につながりのある子どもだから、特別に許す。
日本語が難しいから、仕方ないで済ませる。
家庭の考え方が違うから、学校のルールを弱める。
それでは、学校の指導は成り立たなくなります。
違いを認めることと、学校のルールを曖昧にすることは違います。
ここは、かなり大事なところだと思います。
もちろん、言葉が通じにくい場合は、説明の工夫が必要です。
保護者に伝えるために、通訳が必要なこともあります。
子どもに分かる言葉で、何度も伝える必要もあります。
でも、それは学校のルールを薄めるためではありません。
日本の学校で大切にしていることを、正しく伝えるためです。
日本の学校で生活する以上、日本の学校のルールに参加してもらう必要があります。
それは、冷たいことではないと思います。
むしろ、同じ学校で一緒に生活していくために必要なことです。
「あなたは外国につながりがあるから、学校のルールは守らなくてもいい」
そんなことは言えません。
それは優しさではありません。
その子が日本の学校で友達と過ごしていくためにも、日本の学校で大切にされていることを理解する必要があります。
手を出さない。
やり返さない。
嫌だったことは言葉で伝える。
困ったら先生に言う。
相手にも、自分にも暴力を使わない。
これは、日本の学校で一緒に生活するための土台です。
多文化共生という言葉は、響きがきれいです。
でも、現場では本当に難しいです。
言葉が通じない。
考え方が違う。
怒りの感じ方が違う。
謝ることへの納得の仕方が違う。
家庭の受け止めと、学校の指導がズレる。
そういうことが実際に起こります。
だからこそ、僕は思います。
多文化共生は、きれいごとだけでは進まない。
お互いの違いを認めることは大切です。
でも、それは学校がすべて相手に合わせることではありません。
日本の学校で学ぶ以上、日本の学校が大切にしているルールや価値観を理解してもらうことも必要です。
そこを曖昧にすると、現場はとても苦しくなります。
「やられたらやり返す」
その考え方は、子どもの中では分かりやすいのかもしれません。
先にやられた。
だから返した。
それで終わり。
そう思う気持ちは、分からなくもありません。
でも、学校はそこで止めなければいけません。
叩かれたら叩き返す。
蹴られたら蹴り返す。
嫌なことをされたら、さらに強い力で返す。
それを認めてしまえば、子どもたちの世界はどんどん荒れていきます。
だから、学校は言い続けます。
手を出してはいけない。
やり返してもいけない。
嫌なことは言葉で伝える。
困ったら助けを求める。
暴力ではなく、言葉で解決する。
これは、日本人の子どもにも、外国につながりのある子どもにも、同じように伝えなければいけないことです。
今回のトラブルは、とても難しいものでした。
最初に手を出した子がいた。
やり返した子がいた。
さらにやり返した子がいた。
その後も気持ちが残り、帰る前にもう一度トラブルになった。
家庭に帰ってから、また別の受け止めが出てきた。
保護者との話し合いも必要になった。
一つの出来事が、何度も何度も形を変えて出てきました。
指導って難しい。
本当にそう思いました。
でも、難しいからこそ、学校は丁寧にやるしかありません。
どちらか一方だけを悪者にしない。
最初に手を出したことは、きちんと指導する。
やり返したことも、きちんと指導する。
けがや痛みの確認をする。
気持ちを聞く。
保護者にも説明する。
必要なら、通訳を通してでも学校の考えを伝える。
そして、学校として大切にしていることをぶれさせない。
暴力ではなく、言葉で伝える。
日本の学校で生活する以上、守るべきルールがある。
それを、あきらめずに伝え続ける。
多文化共生は、簡単ではありません。
むしろ、かなり難しいと思います。
きれいごとだけでは進みません。
違いがあるからこそ、ぶつかります。
言葉が通じないからこそ、誤解も生まれます。
家庭の考え方が違うからこそ、学校の指導がそのまま届かないこともあります。
それでも、同じ学校で生活するなら、守るべき土台は必要です。
その土台まで曖昧にしてしまうと、学校は学校として成り立たなくなります。
違いを認めること。
相手を尊重すること。
それは大切です。
でも、日本の学校で学ぶ以上、日本の学校のルールに参加してもらうことも大切です。
多文化共生は、学校がすべて合わせることではない。
同じ場所で生活するために、共通のルールを持つこと。
そのルールを、国籍に関係なく伝え続けること。
今回の出来事を通して、僕はそこを強く感じました。
「やられたらやり返す」
そう言った子に、学校は何を教えるのか。
それは、これからの小学校で、ますます大きな問いになっていくのだと思います。








