電車の中で聞こえた「がんばりの音」
ある日のこと、電車に乗りました。
外は曇り空。
窓の外の景色も、なんだか眠たそう。
自分も目を閉じて、
ゆらゆらと揺れに身をまかせていました。
そのとき、ひとりの青年が乗ってきました。
年は18歳くらいか、20歳くらいか。
リュックを背負って、少し緊張した顔。
席に座ると、ぶつぶつとつぶやき始めました。
「〇〇駅は何分」
「次は〇〇駅」
少し大きめの声で、
何度も繰り返していました。
きっと、不安を落ち着かせているんだろうな。
まるで、知らない道を歩くときに
地図を何度も見返すみたいに。
声に出すことで、
自分を安心させているように見えました。
周りの人は、
特にじっと見ることもなく、平然としていました。
それが受け入れている証拠なのか、
ただ気づかないふりなのかはわかりません。
人の心の中までは、
誰にも見えませんから。
話は少し変わりますが。
昔、自分は赤ちゃんの泣き声が苦手でした。
電車で泣かれると、
「うるさいな」と思って別の車両に移ったこともあります。
でも、自分に子どもが生まれてからは変わりました。
泣き声も、
「がんばって生きてる音」に聞こえるようになったんです。
泣くのは当たり前。
むしろ、泣ける場所があってよかった。
そう思うようになりました。
だから、この青年の声も、
自分には「がんばりの音」に聞こえました。
息子が知的障害を持っていて、
今は中学2年生です。
声を出すことも、
飛び跳ねることもあります。
一人で電車に乗るために、
きっと何度も練習を重ねてきたんだろうなと想像しました。
あなたはどうですか。
もし経験がなかったら、
この場面をどう感じていたでしょうか。
ただ「やかましい」と思ったか、
それとも少し耳を傾けたか。
電車は、小さな社会の縮図です。
静かに本を読む人。
イヤホンで音楽を聴く人。
そして、自分を落ち着かせるために声を出す人。
それぞれが違うリズムで揺られながら、
同じ車両にいます。
同じ時間を過ごしています。
自分は、あの青年の声を聞きながら
目を閉じていました。
外の景色は相変わらず曇り空。
でも、不思議と車内は
あたたかく感じました。




