同じように、休んだ翌日の職場が怖い人に届けばと思って書きます。
今の気持ちを、少し整理して残しておきます。
僕は約7年前から、うつ病と付き合っています。
小学校教師になって20年。
そのうち7年を、うつ病と一緒に過ごしてきました。
今は担任を外してもらっています。
教科も、5年生の社会科だけにしてもらっています。
PTA担当の仕事も外してもらいました。
生活指導関係の出張や、大きな仕事についても、管理職に相談しながら調整してもらっています。
主に生活指導全般と長欠・不登校の児童の担当をしています。
学校としても、僕がこの1年間を休職せずに乗り切れるように、かなり配慮してくれています。
本当にありがたいことです。
でも、それでも休んでしまう日があります。
朝、目が覚めます。
仕事へ行かなければならないことは、分かっています。
でも、体が動きません。
頭の中が鉛みたいに重くなります。
気持ちも沈んでいます。
そして学校へ電話をかけます。
「今日、お休みさせてください」
電話を切ったあと、また布団に戻ります。
そのまま夕方まで眠っていることもあります。
昼ご飯も食べずに、ただ眠っている日もあります。
配慮されていても、動けない日があります。
ここが、うつ病の難しさなのだと思います。
仕事量は減らしてもらっています。
担任もありません。
教科も絞ってもらっています。
大きな仕事も外してもらっています。
それでも、朝に動けなくなる日があります。
だからこそ、余計に苦しくなります。
「こんなに配慮してもらっているのに」
「こんなに助けてもらっているのに」
「それでも休む自分は、甘えているのではないか」
そんな声が、頭の中で聞こえてきます。
でも、たぶんそうではないのだと思います。
配慮してもらっても症状が出るから、病気なのだと思います。
もちろん、休むことを軽く考えているわけではありません。
休めば、誰かがカバーしてくれます。
担任の先生が対応してくれます。
管理職の先生も動いてくれます。
だから、申し訳なさはあります。
でも、最近少し考えるようになりました。
休んだ翌日は、本当に「謝罪の日」なのだろうか、と。
休んだ翌日に、ボクはいつも謝っていました。
休んだ次の日に学校へ行くと、少し後ろめたい気持ちがあります。
職員室に入る時点で、もう心が縮こまっています。
そして、担任の先生や管理職の先生に言います。
「昨日はご迷惑をおかけしました」
「すみませんでした」
もちろん、感謝の気持ちはあります。
急な休みに対応してもらったのだから、何も言わないわけにはいきません。
でも、何度も謝っているうちに、自分の中で別の意味を持ち始めていたのかもしれません。
「自分は迷惑な存在だ」
「休む自分は悪い」
「職場に戻るには、まず謝らなければならない」
そんなふうに、少しずつ自分を追い込んでいたのかもしれません。
謝ること自体が悪いわけではないと思います。
チームで働いている以上、急に休めば誰かが動いてくれます。
そこに対して、感謝を伝えることは必要です。
でも、謝りすぎることは、自分を責めることにつながるのかもしれません。
「すみません」より「ありがとうございました」
最近、言葉を少し変えてみようと思っています。
「昨日はご迷惑をおかけして、すみませんでした」
ではなく、
「昨日は対応ありがとうございました」と言う。
「申し訳ありませんでした」ではなく、
「助かりました」と言う。
管理職の先生には、
「昨日はお休みをいただき、ありがとうございました。今日は体調を見ながら進めます」と伝える。
担任の先生には、
「昨日は急な対応ありがとうございました。何か引き継ぎがあれば確認します」
と伝える。
それで十分なのかもしれません。
休んだ翌日は、自分を責める日ではありません。
戻ってきた日です。
仕事を再開する日です。
また一日を始める日です。
そう考えるだけで、少しだけ呼吸がしやすくなる気がします。
不登校担当という仕事。
今のボクは、不登校担当として仕事をしています。
この仕事には、やりがいがあります。
自分自身もうつ病を抱えているからこそ、学校へ行けない子どもたちの気持ちに、少し近いところから考えられるように感じています。
朝、起きられないこと。
行かなければならないと分かっているのに、体が動かないこと。
休んだあとに、罪悪感で苦しくなること。
そういう感覚を、僕自身も知っています。
だから、不登校の子どもたちのしんどさを、簡単に「甘え」とは言えません。
その点では、自分の経験が仕事に生きているのかもしれません。
でも同時に、気をつけなければいけないとも思っています。
相手の気持ちに寄り添うことと、相手の苦しみを全部背負うことは違います。
「わかる」と「背負う」は別です。
ここを間違えると、自分まで沈んでしまいます。
支援する側が倒れてしまったら、長く関わることはできません。
だから、境界線を持つことも大事なのだと思います。
冷たくするという意味ではありません。
長く関わるために、必要な距離を取るということです。
今年の目標は、活躍することではありません。
今のボクにとって、今年の目標は大きな成果を出すことではありません。
誰かに認められることでもありません。
配慮してもらっている分を、無理に仕事で返すことでもありません。
この1年間を、休職せずに乗り切ることです。
もちろん、休まず毎日行けたらいいと思います。
でも、それだけを目標にすると、休んだ日が全部失敗になってしまいます。
そうではなく、長く崩れないこと。
休んだとしても、また戻れること。
自分の体調を観察しながら、少しずつ安定していくこと。
そこを大事にしたいです。
休んだ日は、反省だけで終わらせない。
前の日に何があったのか。
睡眠はどうだったのか。
心が重くなる出来事はあったのか。
誰かの苦しさを、自分の中に入れすぎていなかったか。
そういうことを、責めるためではなく、観察するために見ていきたいです。
反省すると、自分を攻撃してしまいます。
でも、観察すれば、次の対策につながります。
休んだ日も、人生は続いています。
うつ病になって7年が経ちました。
まだ治っていません。
薬も飲んでいます。
通院もしています。
無理をしないようにもしています。
それでも、動けない日はあります。
焦りもあります。
悔しさもあります。
情けなさもあります。
罪悪感もあります。
でも、休んだ日も、何もしていない日ではないのだと思います。
体が、これ以上壊れないように止めてくれた日です。
心が、限界を知らせてくれた日です。
生き延びるために、眠っていた日です。
休んだ翌日は、謝罪の日ではなく、戻る日です。
「すみません」よりも、「ありがとうございました」と伝える。
そして、また自分にできる範囲で仕事をする。
それでいいのだと思います。
うまく歩けない日があります。
立ち止まる日があります。
休む日もあります。
それでも、今日を生き延びたことまで、なかったことにはしなくていいのだと思います。
学校へ行けなかった日も、僕は教師であることを忘れていたわけではありません。
子どもたちのことを考えていました。
申し訳なさに押しつぶされそうになりながら、それでもまた明日を考えていました。
だから今日のボクに言えることは、一つだけです。
休んだ日も、人生は続いています。
そしてボクは今日も小学校教師です。











病気と向き合うのは、周りの方も理解してほしいことがありますね…
私も強い責任感から重大なミスをして、心が音を立てて壊れた事がありました。
何度も何度も誤っていて、だんだん、いるのが申し訳ない気持ちで、つぶされそうで辞めました。
その時、かめ先生の記事を読んでいればなんて、思いました☺️