学校で働いていると、
子どもって、
ある日突然変わるんですよね。
ついこの前まで、
普通に着替えて、
普通に走り回っていたのに、
急に、
「見られる」
ことに敏感になる。
先日、
学校で内科検診がありました。
ぼくは五年生の授業へ行ったのですが、
ちょうど検診の時間と重なっていて、
教室で待っていました。
すると、
検診から戻ってきた女子が、
かなり不機嫌だったんです。
「最悪」
そんな感じで、
ずっと機嫌が悪い。
どうしたのか聞いても、
最初は何も言わない。
でも、
少しずつ話を聞いていると、
どうも、
内科検診そのものが嫌だったらしい。
高学年になると、急に変わる
これ、
学校ではかなりあります。
特に高学年くらいから、
身体への感覚が急に変わる。
上半身を見られる
男性医師が嫌
視線が気になる
なんとなく恥ずかしい
本人たちも、
うまく説明できない。
でも、
とにかく嫌。
しかも、
昨日まで平気だったことが、
急にダメになる。
あれは、
見ていてかなり不思議です。
「身体」が、社会の中に入っていく
ぼくは、これって、
かなり人間的な変化だと思っています。
子どもの頃って、
まだ身体が、
「自分だけのもの」
に近いんですよね。
でも、
成長していくと、
そこに、
「他人の視線」
が入り始める。
つまり、
身体が、
社会の中に入っていく。
これは、
かなり大きな変化です。
そして、
本人たちも、
その変化をうまく整理できない。
だから、
急に不機嫌になったり、
攻撃的になったり、
逆に黙り込んだりする。
教師側とのズレ
ただ、
学校側って、
どうしても、
「毎年あること」
として進んでいきます。
先生も、
医師も、
仕事としてやっている。
正直に言えば、
教師側からすると、
「そんな目で見ていない」
という感覚です。
むしろ、
毎日大量の仕事に追われながら、
検診を回している。
でも、
子ども側はそうではない。
そこに、
かなり大きな感覚のズレがあります。
ぼくは以前、
中学校で働いていた時、
女子生徒が男性医師に対して、
「気持ち悪い」
「セクハラ」
みたいな言葉を、
かなりストレートに言っている場面も見ました。
医師からすると、
かなりしんどいです。
でも一方で、
子ども側も、
「見られる怖さ」
を抱え始めている。
だから、
単純に、
「医師がかわいそう」
「子どもが悪い」
だけでは、
整理できない気がしています。
人は、「見られる自分」を生き始める
成長って、
知識が増えることだけではないんですよね。
「他人からどう見えるか」
を知ってしまうことでもある。
そしてそれは、
少し苦しい。
ぼくら大人も、
結局ずっと、
「見られる自分」
を意識しながら生きていますよね。
SNSなんか、
かなりそうです。
でも、
その始まりって、
案外、
学校のこういう小さな場面なのかもしれません。
最後に
内科検診のあと、
急に不機嫌になった子がいました。
でも、
あれは単なる「わがまま」ではなく、
「見られる」
という感覚が始まった瞬間だったのかもしれません。
学校で働いていると、
子どもって、
ある日突然、
子どもではなくなっていく
と思うことがあります。
そして、
その変化は、
本人にとっても、
かなり戸惑うものなのだと思います。




