あるテストの採点をしていました。
採点をしながら、少し手が止まりました。
思っていたよりも、平均点がよくなかったのです。
もちろん、テストなので点数には差が出ます。
よくできる子もいます。
苦手な子もいます。
そこは当然あります。
でも、今回は少し気になりました。
いつも真面目に授業を受けている子。
よく手を挙げる子。
振り返りを一生懸命書いている子。
そういう子たちの点数も、思っていたより低かったのです。
これは、少し考えました。
単に子どもたちが勉強していなかった。
それだけではないのではないか。
自分の教え方が十分ではなかったのではないか。
最近、自分が休みがちだったこともありました。
急に担任の先生に授業をお願いしたこともありました。
その中で、子どもたちの中に知識がきちんと入っていなかったのかもしれない。
そう思いました。
だから、今回は再テストをしようと思いました。
ただ、再テストをするとなると、そこにも悩みがあります。
全員に受けさせるのか。
希望制にするのか。
今回は、受けたい子は受けていいという形にしました。
希望制です。
でも、希望制にすると、また別の問題が出てきます。
本当に点数が悪くて、もう一度やった方がいい子ほど、受けないことがあります。
点数が低くても、あまり気にしない子は受けません。
逆に、真面目に頑張っている子ほど、
「もう一回受けたいです」
と言います。
そうなると、本当に救いたい子に届かないこともあります。
ここが難しいところです。
再テストをすること自体にも、少し迷いがありました。
テストは基本的には一発勝負です。
そのときに、自分の力を出す。
そのときに、どこまで理解できているかを見る。
それがテストです。
だから、何度もやり直せばいいというものではない。
そういう気持ちもあります。
一方で、今回のように、真面目に授業を受けていた子たちまで大きく崩れていると、「これは教師側にもできることがあったのではないか」と思います。
一発勝負だから仕方ない。
そう切ってしまうには、少し違和感がありました。
今回は、できている子をさらに伸ばすというよりも、頑張っているのに点数につながらなかった子を救う手立てとして、再テストをすることにしました。
でも、悩みました。
本当にこれでいいのか。
希望制でいいのか。
全員にした方がいいのか。
再テストという形がそもそもいいのか。
いろいろ考えました。
そして、もう一つ考えたことがあります。
それは、普段の授業での「学び合い」についてです。
学校では、子どもたち同士で相談する場面があります。
分からないところを友達に聞く。
自分の考えを友達に伝える。
友達の説明を聞いて、
「ああ、そういうことか」と理解する。
そういう学び合いの場面は、とても大事です。
一人では分からなかったことが、友達の言葉で分かることがあります。
先生の説明では入らなかったことが、隣の子の一言で入ることもあります。
子ども同士の学びには、大きな力があります。
でも、今回のテストを見て、改めて思いました。
教えてもらって分かることと、一人で解けることは違う。
ここです。
友達に教えてもらって、
「分かった」と思う。
一緒に考えて、「できた」と思う。
でも、それが本当に自分の力になっているかどうかは、また別です。
テストでは、隣の子に聞くことはできません。
友達にヒントをもらうこともできません。
先生に、「ここ、どうするんでしたっけ」
と聞くこともできません。
自分で問題文を読む。
自分で何を聞かれているかを考える。
自分で必要な知識を思い出す。
自分で答えまでたどり着く。
それがテストです。
つまり、テストは学び合いの時間ではありません。
自分一人でどこまでできるかを見る時間です。
ここに、普段の授業とのズレがあります。
授業中に、友達と相談してできる。
班で考えれば分かる。
近くの子に教えてもらえばできる。
それは、それで大切です。
でも、そこで終わってはいけない。
最後には、
「では、一人でできるか」まで持っていく必要があります。
友達に教えてもらって分かったことを、自分の言葉で説明できるか。
ヒントなしで、もう一度解けるか。
似た問題が出ても、自分で考えられるか。
問題文が少し変わっても、使えるか。
そこまで行かないと、テストでは点数につながりません。
今回、そこを強く感じました。
授業で子どもたちが話し合っている。
友達同士で教え合っている。
ノートに何かを書いている。
振り返りにも、よさそうなことを書いている。
それを見ると、教師は少し安心してしまいます。
「ああ、分かっているな」
「今日の授業はうまくいったな」
そう思ってしまう。
でも、本当に大事なのはその後です。
一人でできるか。
自分の力で再現できるか。
テストで使える知識になっているか。
そこまで見ないといけません。
授業の中で、友達に教えてもらう時間は必要です。
でも、その後に一人で解く時間も必要です。
話し合ったあとに、個人で確認する。
説明を聞いたあとに、自分で書く。
友達の考えを聞いたあとに、自分の言葉でまとめる。
最後に小さな確認問題を解く。
そういう時間を作らないと、分かったつもりで終わってしまいます。
そして、その「分かったつもり」が、テストで表れます。
今回のテストは、僕にとっても反省の多いものでした。
子どもたちの点数が低かった。
それだけではありません。
自分の授業は、どこまで子どもたちを一人で解けるところまで連れていけていたのか。
そこを考えるきっかけになりました。
中学校に行けば、テストはさらに厳しくなります。
範囲も広くなります。
問題文も長くなります。
自分で覚えて、自分で使う力が必要になります。
小学校のうちに、そこへ向かう練習をしておく必要があります。
友達と学ぶ。
先生に教えてもらう。
それは大切です。
でも、最後は自分で解く。
自分で考える。
自分で使えるようにする。
そこまでを授業の中で意識していかなければいけないのだと思いました。
再テストをするかどうか。
希望制でいいのか。
全員に受けさせるべきか。
一発勝負のテストをどう考えるか。
いろいろ悩みました。
でも、その悩みの先にあったのは、結局いつもの問いでした。
子どもたちは、本当に分かっていたのか。
その知識は、自分で使えるものになっていたのか。
教師が教えたこと。
友達に教えてもらったこと。
授業中に分かった気がしたこと。
それが、テストで一人で使える知識になっているか。
そこには、やはり大きな差があります。
今回の再テストは、ただ点数を取り直すためだけのものではありません。
子どもたちにとっては、もう一度学び直す機会です。
そして、教師にとっては、自分の授業を見直す機会です。
教えたつもりになっていなかったか。
分かったつもりで終わらせていなかったか。
友達に教えてもらったことで、できたつもりにしていなかったか。
一人で解けるところまで、授業の中で持っていけていたか。
テストの採点をしながら、そんなことを考えました。
点数は、子どもだけの結果ではありません。
もちろん、子ども自身の努力もあります。
家庭学習の差もあります。
その日の体調や集中力もあります。
でも、教師の授業もそこに表れます。
だから、テストを見るとき、僕は子どもだけを見ているわけではありません。
自分の授業も見ています。
今回のテストは、少し苦い結果でした。
でも、その苦さがあったから、考えることができました。
再テストをどうするか。
学び合いをどう組むか。
一人で解ける時間をどう作るか。
子どもたちに、何をどこまで求めるか。
テストの点数から、いろいろなことを考えた一日でした。
教えてもらって分かることと、一人で解けることは違う。
この当たり前のことを、もう一度、授業の中心に置いていきたいと思います。








