今日、仕事をしていて、心に残ったことがありました。
あるクラスに行ったときのことです。
そこには、昨年度ぼくが教えていた子どもたちがいました。
久しぶりに話しながら教室へ行くと、昨年度よく話していた女の子が、ランドセルについているお守りを見せに来てくれました。
そこには、「合格祈願」と書かれていました。
「合格祈願って、どういうこと?」
そう聞くと、近くにいた担任の先生が、その子に向かって言いました。
「受験するんだよな」
その子は、笑顔でうなずきました。
「受験するんや。すごいな」
そんな話をしながら、下校する廊下を二人で歩きました。
すると、その子が突然、ぼくに聞きました。
「先生、なんで去年、教室に来なくなったん?」
昨年度の三学期、ぼくは体調を崩して休職していました。
そのため、子どもたちの前から急にいなくなる形になりました。
ぼくは、その子に答えました。
「去年は体調が悪くなって、三学期を休んでいたんだよ」
すると、その子は、こう言いました。
「先生、学校から逃げてたん?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓がドキドキしました。
胸の奥に、何かが刺さったような感覚がありました。
ぼくは笑いながら、
「逃げてないよ。体調が悪かったから休んでいただけだよ」
そう答えました。
そして、そのまま「さようなら」と別れました。
なぜ、こんなに引っかかったのだろう
そのあと、仕事に戻りました。
事務作業をして、先生方と話をして、いつものように仕事を進めました。
やるべきことは、きちんと終わりました。
でも、いつもなら感じるはずの達成感がありませんでした。
心のなかに、モヤモヤが残っていました。
「先生、学校から逃げてたん?」
その言葉が、何度も頭のなかで繰り返されました。
子どもが、自分でそんな言葉を思いついたのだろうか。
もしかすると、家で誰かがそう話していたのだろうか。
他の子どもたちも、同じように思っているのだろうか。
休職したことで、あの学年から逃げたと思われているのだろうか。
考え始めると、いくらでも悪い方向へ進んでいきます。
答えの出ない想像を繰り返して、自分で自分を傷つけていました。
体調を崩して休むことは、逃げではありません
ここは、自分に言い聞かせる意味でも書いておきます。
体調を崩して休職したことは、逃げではありません。
仕事を続けられないほど体調が悪くなり、休む必要があったから休みました。
子どもたちが嫌になったわけではありません。
仕事を投げ出したかったわけでもありません。
休まなければ、さらに体調を悪化させていたかもしれません。
それでも、「逃げた」と言われて胸が痛んだのは、ぼく自身のなかに、まだ休職したことへの後ろめたさが残っていたからでしょう。
子どもの言葉が、そこに触れたのだと思います。
相手の言葉だけが問題だったのではありません。
自分でも気づかないまま抱えていた罪悪感が、急に表へ出てきたのです。
子どもの一言を、必要以上に広げない
その子は、ぼくを傷つけようとして言ったわけではないと思います。
子どもは、大人が考えているよりも率直です。
「急に先生が来なくなった」
「休んでいた」
「学校から離れた」
その事実を、子どもなりの言葉で表しただけかもしれません。
そこへ、「保護者が悪く言っていたのかもしれない」
「みんながそう思っているのかもしれない」
と意味を足していたのは、ぼく自身でした。
一人の子どもの一言を、学年全体の評価にまで広げる必要はありません。
実際、今でも毎日のようにハイタッチをしてくれる子がいます。
会えば話しかけてくれる子もいます。
笑顔で近づいてくれる子もいます。
そうした日々の姿も、同じように事実です。
傷つく言葉だけを大きくして、うれしかった出来事を小さく扱う必要はないのです。
「仕方がない」で、自分を責めない
最初は、「休職したのだから、そう思われても仕方がない」と考えました。
そう考えれば、気持ちを納められると思ったのです。
でも、少し違う気もしています。
休んだことによって、子どもたちを心配させたかもしれません。
突然いなくなったように感じさせたかもしれません。
それは申し訳なかったと思います。
ただ、「休んだ自分が悪い」と結論づける必要はありません。
体調を崩すことはあります。
休まなければいけないときもあります。
それは、人間として当たり前のことです。
自分を責め続けたところで、昨年度に戻れるわけではありません。
当時の自分には、休むことが必要でした。
今の自分にできるのは、聞かれたときに、正直に答えることです。
「体調が悪くて休んでいたんだよ」
それで十分です。
今日できたことを、きちんと見る
今日一日を振り返れば、悪いことばかりではありませんでした。
遅い時間まで仕事をしました。
生活指導について、いろいろな先生と話しました。
今までより深い話ができて、先生方との関係も少し近くなったように感じました。
子どもたちとも話しました。
受験する子の笑顔を見ることもできました。
やるべき仕事も進めました。
一つの言葉に傷ついたからといって、今日一日すべてが悪かったわけではありません。
むしろ、よく動いた一日でした。
よく働きました。
人と向き合いました。
自分なりに、やるべきことをやりました。
そこは、自分で認めていいのだと思います。
自分を立て直すのは、小さな肯定です
人の言葉に傷つくことはあります。
気にしないようにしても、気になるものは気になります。
すぐに切り替えられない日もあります。
でも、答えの出ないことを考え続けても、自分の心がすり減っていくだけです。
「あの子は、なぜあんなことを言ったのか」
「周りの人も、そう思っているのか」
その答えは、考えてもわかりません。
わからないことを、悪い方向に決めつける必要もありません。
それよりも、自分が今日できたことを一つずつ見ていくほうがいいです。
今日も仕事に行けました。
子どもと話せました。
先生方と向き合えました。
遅くまで働きました。
心が揺れても、最後まで仕事を続けました。
そうやって、小さなことを一つずつ自分で認めていく。
その積み重ねが、自分を立て直してくれるのだと思います。
「先生、学校から逃げてたん?」
今日、その言葉に心が揺れました。
でも、ぼくは逃げていたわけではありません。
休む必要があったから、休みました。
そして今、また学校で仕事をしています。
それが、今のぼくにとっての事実です。
人からどう見られているかを、すべてコントロールすることはできません。
だからこそ、自分が今日やったことを、自分だけはきちんと見ておきたいです。
今日もよくやりました。
まずは、自分で自分にそう言ってあげたいと思います。









