学校現場で子どもたちと関わっていると、
「同じように扱うことが公平なのか」と考えさせられる場面があります。
ぼくは今、不登校の児童生徒を支援する仕事をしています。
学校によって呼び方は違いますが、校内支援ルームと呼ばれる場所で、教室に入りにくい子や、少し気持ちを落ち着けたい子と過ごしています。
校内支援ルームは、単に授業を休む場所ではありません。
安心を取り戻し、その子が次の一歩を選べるようにするための場所です。
そこで過ごす子どもたちを見ていると、同じ空間にいても、必要な支援は一人ひとり違うのだと感じます。
仲がいいから、一緒にいたい
校内支援ルームを利用する子のなかに、とても仲のいい二人がいます。
一人は、教室に入ることへの負担が大きく、授業時間の多くを校内支援ルームで過ごしています。
もう一人は、朝の登校が遅れることはありますが、学校に来れば教室で授業を受けられることが多い子です。
その子も、ときどき校内支援ルームに来ます。
少し休んで気持ちを整えたあと、教室へ戻ることもあります。
二人は普段から仲がよく、一緒に過ごしたい気持ちがあります。
ですから、片方が校内支援ルームにいると、もう片方もできるだけ長く一緒にいたいと思います。
それ自体は、ごく自然なことです。
友達と一緒にいれば安心できますし、苦手な授業があれば、そのままそこにいたくなることもあるでしょう。
ただ、支援する側は、「仲がいいから一緒にいさせる」という判断だけではいけません。
二人は、今必要としている支援が違うからです。
子どもには、不公平に見えることがあります
教室へ戻れる状態の子に対しては、少し休んだあとで授業へ行くように声をかけます。
すると、「どうして自分は教室へ行かないといけないのに、友達はずっとここにいていいのか」と言うことがあります。
子どもの立場から見れば、不公平に感じますよね。
同じ場所にいて、同じように過ごしているのに、自分だけが授業へ戻されるのです。
一緒に残る友達も、「ここにいればいいよ」と引き留めたくなります。
でも、同じ対応をすることが、公平とは限りません。
一人は、今は教室に入ること自体が難しい状態です。
もう一人は、少し休めば教室へ戻れる状態です。
同じ時間だけ校内支援ルームにいることが、その二人にとって本当に同じ支援になるわけではありません。
必要な支援が違うなら、対応も違っていいのです。
「行ける力がある」という言葉の難しさ
教室へ戻れる子には、「あなたには授業に出られる力がある」と伝えることがあります。
授業内容がすべてわからなくても、教室に座り、話を聞く経験には意味があります。
少しずつ参加することで、教室で過ごす力が育つこともあります。
ただ、この言葉の使い方には注意が必要です。
「あなたは行けるのだから、行きなさい」という圧力になってはいけません。
昨日は行けても、今日は行けないことがあります。
同じ子でも、授業や人間関係、その日の体調によって状態は変わります。
支援する側が見るべきなのは、「甘えているかどうか」ではありません。
今は休む必要があるのか。
少し休めば戻れそうなのか。
教室へ戻るために、何が必要なのか。
そこを子どもと一緒に考える必要があります。
「行ける力がある」という言葉は、励ますために使うものであって、追い込むために使うものではありません。
友達に役割を背負わせない
校内支援ルームに残る子に対して、「本当の友達なら、授業へ行くように言ってあげなさい」と伝えたくなることもあります。
でも、それは少し違うと考えるようになりました。
友達を教室へ戻すことは、子どもの役割ではありません。
授業を受ける権利を守ることも、友達に責任を負わせることではありません。
その子自身も、教室に入ることに苦しんでいます。
そこへ、「友達を正しく導かなければいけない」という役割まで背負わせると、負担が大きくなります。
伝えるとすれば、もっとシンプルでいいのでしょう。
「一緒にいたい気持ちはわかるよ」
「でも、二人は今、必要な過ごし方が少し違うんだよ」
「友達が授業へ行くときは、ここで待っていても大丈夫だよ」
それで十分です。
引き留めないことは伝えても、友達を励ます責任までは負わせないほうがいいでしょう。
公平とは、同じにすることではありません
学校では、「みんな同じように」という考え方が強くなりがちです。
同じ時間に登校する。
同じ教室で授業を受ける。
同じ課題に取り組む。
もちろん、集団生活には共通のルールも必要です。
ただ、支援が必要な場面まで、全員を同じにしようとすると苦しくなります。
公平というのは、全員に同じものを渡すことではありません。
その子が必要としているものを、その子に合う形で渡すことです。
長く校内支援ルームで過ごす必要がある子もいます。
少し休めば教室へ戻れる子もいます。
朝は来られなくても、午後から参加できる子もいます。
今日は教室へ入れても、明日は難しくなる子もいます。
子どもの状態は固定されません。
だから支援も、固定してはいけないのです。
校内支援ルームは、逃げ場所ではありません
校内支援ルームにいると、「授業から逃げている」と見られることがあります。
逆に、「ここなら何時間でも好きにいていい場所」と思われることもあります。
どちらも少し違います。
校内支援ルームは、逃げたことを責める場所ではありません。
ただし、居心地のよさだけを優先して、次の一歩を考えなくていい場所でもありません。
安心して休む。
気持ちを言葉にする。
今できそうなことを考える。
必要であれば、教室へ戻る。
難しければ、別の方法を探す。
その子が、自分の状態を知り、自分で選べるようになることが大切です。
大人の都合で教室へ戻すのでもなく、子どもの希望をすべてそのまま通すのでもありません。
その間で、一緒に考え続けることが支援なのだと思います。
子どもの状態を決めつけない
支援する側が、一番気をつけなければいけないのは、子どもを決めつけることです。
「この子は教室へ行けない子です」
「この子は教室へ行ける子です」
そう分類すると、支援する側は楽になります。
でも、子どもの状態はそんなに単純ではありません。
今は難しくても、少しずつできることが増える子もいます。
普段はできていても、突然しんどくなる子もいます。
だから、「今の状態では、どの支援が必要か」を見なければいけません。
過去の様子やこちらの期待だけで判断せず、その日の子どもの姿を見る必要があります。
支援とは、動かすことではありません
子どもを教室へ戻せたら、支援が成功したように感じることがあります。
でも、教室へ戻すことだけが目的ではありません。
無理に戻した結果、翌日から学校へ来られなくなることもあります。
反対に、少し長く休んだことで、次の時間から参加できることもあります。
支援とは、こちらの望む方向へ子どもを動かすことではありません。
その子が安心を取り戻し、自分で次の一歩を選べる状態をつくることです。
教室へ行く日もあるでしょう。
校内支援ルームで過ごす日もあるでしょう。
今日は何もできない日もあるかもしれません。
それでも、昨日より少し話せた。
掃除の時間だけ教室へ行けた。
友達を見送ることができた。
そうした小さな変化を見逃さず、積み重ねていくことが大切です。
同じ対応をすることが、公平とは限りません。
それぞれの子どもに必要な支援を考え続けること。
そして、子どもの状態を決めつけず、その日の姿を見ること。
それが、校内支援ルームに関わる大人の役割なのだと思います。








かめ先生、全て読みました。不登校の娘に重ねて。朝起きず、漫画や本を読みほとんどを寝て過ごす日を繰り返す娘に、私は何ができるんだろう…?答えはまだ、でません。かめさんの知見、学ばせていただきました。ありがとうございます🥺