最近、『トランスジェンダーになりたい少女たち』という本を読みました。
読んでいて、かなり考え込んでしまいました。
この本を読んでぼくが感じたのは、LGBTの方々を否定したいということではありません。
特にT(トランスジェンダー)の認識についてボクは危機感を持っています。
性的マイノリティの人たちが、差別されたり、からかわれたり、学校や社会の中で居場所を失ったりすることは、あってはいけません。
そこは大前提です。
学校でも、人を傷つけないこと。
違いを理由にいじめないこと。
自分と違う人を尊重すること。
これは、きちんと教える必要があります。
ただ、その一方で、子どもの性自認を扱うときには、大人がかなり慎重である必要があると思っています。
特に小学生のように、まだ発達の途中にある子どもたちに対しては、学校や大人が急いでラベルを貼ったり、本人に早く答えを出させたりしてはいけないのではないか。
そんな危うさを感じています。
子どもは、揺れながら育っていきます。
子どもの性自認は、早い時期から芽生えると言われています。
幼い子どもでも、自分を「男の子」「女の子」と認識し始めます。
一方で、子どもの発達はとても流動的です。
幼児期から小学生の時期にかけて、好きな遊びも変わります。
好きな服も変わります。
友達との関わり方も変わります。
自分の見え方も、周りとの関係の中で少しずつ変わっていきます。
だからこそ、幼い時期の言動だけで、将来の性自認を大人が断定してはいけないのだと思います。
たとえば、サッカーが好きな女の子がいます。
元気に走り回る女の子がいます。
男の子と一緒に遊ぶことが多い女の子がいます。
その子に対して、大人が、
「男の子みたいだね」
と言ってしまうことがあります。
でも、本当はその言葉がいらないのだと思います。
サッカーが好きな女の子でいいです。
元気に走る女の子でいいです。
男の子と遊ぶ女の子でいいです。
そこに「男の子みたい」というラベルを貼る必要はありません。
同じように、かわいいものが好きな男の子がいても、
「女の子みたいだね」
と言う必要はありません。
かわいいものが好きな男の子でいいです。
静かに絵を描く男の子でいいです。
やさしい雰囲気の男の子でいいです。
子どもに必要なのは、性別のラベルではなく、
「あなたはあなたのままでいい」
という安心感だと思います。
性の多様性を教えることと、性自認を急がせることは違います。
ここは、かなり分けて考えたいところです。
性の多様性を教えることは大切です。
世の中には、いろいろな感じ方の人がいます。
自分の性別に違和感を持つ人もいます。
好きになる相手の性別が、多数派と違う人もいます。
そういう人をからかったり、いじめたり、否定したりしてはいけません。
これは学校でも伝えるべきことです。
文部科学省の生徒指導提要でも、性的マイノリティへの配慮が扱われるようになっています。
自治体によっては、相談体制や保護者対応、トイレや更衣室、制服などについて具体的な指針を作っているところもあります。
この流れ自体は、とても大切です。
学校が何も知らないまま、子どもを傷つけてしまうことは避けなければいけません。
ただし、それは子どもに、
「あなたの性別を今すぐ決めなさい」
と迫ることではありません。
「あなたは本当はどっちなの」
と急がせることでもありません。
「男の子らしくないから、別の性なのかもしれない」
「女の子らしくないから、別の性なのかもしれない」
と大人が勝手に意味づけることでもありません。
性の多様性を教えることと、子どもに性自認の答えを急がせることは違います。
ここを混同してはいけないと思っています。
アメリカでは性自認の問題で沢山の少女が被害にあっています。そのことがこの著書に書いてあって日本にこの考え方が入ってこないか危機感を持っています。
大人がよく分からないまま教えることが危ういです。
ぼくが一番危ういと思っているのは、LGBTという存在そのものではありません。
性の多様性を教えること自体でもありません。
危ういのは、大人が十分に理解しないまま、子どもに雑に教えてしまうことです。
「性別は自分で決めていい」
「自分が思えば、それが本当の自分」
こういう言葉だけが切り取られて、小学生に届いてしまうと、めちゃくちゃ危ういと思います。
子どもは、大人の言葉をそのまま受け取ることがあります。
一時的な気持ちや好みを、自分の存在そのものと結びつけてしまうこともあります。
もちろん、本当に深い違和感を抱えている子もいると思います。
そこは丁寧に見なければいけません。
でも、だからこそ雑に扱えないのです。
「本人がそう言ったから、それで決まり」
ではなく、
「なぜそう感じているのか」
「どんな場面でつらいのか」
「その子の生活全体はどうなのか」
「家庭や友人関係に何が起きているのか」
「発達やメンタル面の課題はないのか」
そういうことを、時間をかけて見ていく必要があると思います。
学校には、まだ十分な準備があるとは言えません。
性の多様性について学ぶ必要性を感じている先生は多いと思います。
でも、実際にどこまで学んできたかというと、かなり差があります。
教員養成の段階で十分に学んできた人は、まだ多くないでしょう。
現場に出てからも、研修の機会が十分とは言えない学校もあると思います。
つまり、多くの先生が、
「大事なテーマだとは分かっている」
「でも、どう扱えばいいのかは不安がある」
という状態なのではないでしょうか。
この状態で、性自認に関する授業や人権教育だけが先に進むと、少し危ういです。
教える側の理解が浅いまま、言葉だけが教室に入っていく。
それは、子どものためにならない可能性があります。
だからこそ、まず大人が学ぶ必要があります。
教師が学ぶ。
保護者も学ぶ。
学校全体で対応方針を持つ。
一人の先生の価値観だけで扱わない。
ここが必要だと思います。
ボクが危惧しているのは、学校に講師として人権活動家という名の方が入ってきてまちがった認識を子どもに植え付けてしまうことです。
学校だけで抱えてはいけません。
子どもが性別に関する違和感を話したとき、教師が最初にすべきことは、否定することではありません。
からかうことでもありません。
決めつけることでもありません。
まずは、話を聞くことです。
「そう感じているんだね」
「話してくれてありがとう」
「一人で抱えなくていいよ」
そう受け止めることは、とても大事です。
でも、そこから先を教師一人で判断してはいけないと思います。
学校だけで抱え込んでもいけません。
教師は医師ではありません。
心理の専門家でもありません。
子どもの人生に関わる大きなテーマを、学校の中だけで進めていいわけではありません。
必要なのは、管理職、養護教諭、スクールカウンセラー、保護者、必要なら専門機関とつながることです。
文部科学省も、相談を受けた先生だけで抱え込まず、校内外で支援チームをつくることの大切さを示しています。
これは本当に大事だと思います。
担任が一人で抱えるテーマではありません。
学校が一枚岩になり、必要に応じて外部ともつながる。
その中で、その子にとって何が安心なのかを考えていく必要があります。
アメリカのある州では州の法律で、親に相談がなくても教師と医師とで判断していいという法律があり、親が知らないうちに胸の手術を受け、乳房を切除してしまったということもおきているんです。
親を外してはいけない。でも単純にも扱えない。
このテーマで難しいのは、保護者との関係です。
原則として、親を外して子どもの大きな問題を扱うべきではないと思います。
子どもは学校だけで育っているわけではありません。
家庭で生活しています。
保護者は、子どもの体調や心の変化を長く見ています。
だから、学校と家庭が連携することは大切です。
ただし、家庭が安全ではない場合もあります。
子どもが親に話せない事情を抱えていることもあります。
強い拒絶や虐待のリスクがあるなら、学校はかなり慎重に動く必要があります。
だから、
「必ずすぐ親に言えばいい」とも言えません。
でも、「親には言わなくていい」と学校だけで進めるのも違います。
このあたりは、本当に丁寧さが必要です。
子どもの安全。
本人の気持ち。
保護者との関係。
学校としての責任。
専門家の意見。
これらを総合して、慎重に考える必要があります。
子どもを、大人の思想の道具にしてはいけません。
このテーマで一番避けたいのは、子どもが大人の思想の道具になることです。
LGBTに対して偏った考えを持った大人の道具にしてはいけません。
性の多様性を進めたい大人の道具にしてもいけません。
子どもは、子どもです。
発達の途中にいます。
迷います。
揺れます。
変わります。
だから、大人が必要です。
でも、その大人は、子どもを急かす大人ではなく、伴走する大人でありたいです。
「今すぐ決めなくていいよ」
「あなたの好きなことは、そのままで大丈夫だよ」
「困ったら一緒に考えよう」
「一人で抱えなくていいよ」
そう言える大人が必要だと思います。
学校現場で大切にしたい4つのこと。
学校現場で大切にしたいことは、4つあると思っています。
1つ目は、決めつけないことです。
「男らしい」
「女らしい」
「本当はこっちなのかもしれない」
そういうラベルを、大人が子どもに貼らないことです。
子どもの好きなことや遊び方を、性別に結びつけすぎないことです。
2つ目は、急がせないことです。
性自認について、今すぐ答えを出させる必要はありません。
子どもは成長の途中です。
感じ方が変わることもあります。
分からないまま過ごす時間も必要です。
3つ目は、否定しないことです。
子どもが何かを話してきたときに、
「そんなこと言わないの」
「気のせいだよ」
「普通にしなさい」と否定しないことです。
まずは、話してくれたことを受け止める。
そのうえで、急がずに考える。
ここが大事です。
4つ目は、一人にしないことです。
子どもを一人にしない。
担任も一人で抱えない。
学校だけで抱えない。
必要な人とつながりながら、チームで支える。
この4つを、学校現場では大切にしたいです。
子どもに必要なのは、安心して揺れられる環境です。
子どもは、大人が思っている以上に繊細です。
大人の言葉を、思っている以上に真に受けます。
大人が貼ったラベルを、そのまま自分の中に入れてしまうこともあります。
だからこそ、教師や親は慎重でありたいです。
男の子らしさ
女の子らしさ
普通
違和感
多様性
自己決定
こういう言葉は、大人にとっても難しい言葉です。
それを子どもに伝えるなら、かなり丁寧に扱う必要があります。
子どもに必要なのは、急いで自分を決めることではありません。
安心して揺れながら育っていける環境です。
「今日はこう感じた」
「昨日とは少し違う」
「まだよく分からない」
「でも、それでいい」
そう思える場所が必要です。
学校は、そういう場所であってほしいと思います。
まとめます。
『トランスジェンダーになりたい少女たち』を読んで、ぼくは強い危うさを感じました。
それは、性の多様性そのものへの危うさではありません。
子どもの発達段階を十分に見ないまま、大人が急いで性自認を扱ってしまうことへの危うさです。
子どもに急いで答えを出させてもいけません。
大人がラベルを貼ってもいけません。
学校だけで抱えてもいけません。
子どもに必要なのは、急いで自分を決めることではなく、安心して揺れながら育っていける環境です。
ぼくたち大人は、その環境を作る側でいたいです。
決めつけない。
急がせない。
否定しない。
一人にしない。
性の多様性を教えるなら、この4つを忘れないようにしたいです。
そして、子どもたちが自分のことをゆっくり理解していけるように、学校も家庭も社会も、もう少し慎重であってほしいと思います。







放デイに勤めている者です。
話がずれてしまうかもしれせんが、
驚くべきことに、私の住んでいる地域の養護学校には保健体育の授業がないのだそうです。
知的に大きく問題のない子も通っている中で、特に思春期を迎える子供達は
LGBTなどの問題も含めて、普通学校に通う子達と同様とはいかなくても
ある程度噛み砕いてわかりやすく伝える教育機会を持つことは大事なんじゃないかなって思います。