ある日の学校でのことです。
僕は、うつ病があります。
だから、朝がしんどい日があります。
しんどいというより、体が動かない日があります。
頭では、「学校に行かなければ」と思っています。
でも、体が重い。
気持ちも沈んでいる。
布団から出るだけで、かなり力を使います。
以前なら、どうしてもしんどい日は休むという選択肢もありました。
でも、今はもう有給休暇もほとんど使い切ってしまいました。
この先、休みが続くと、休職という言葉が現実的に近づいてきます。
だから、毎朝思います。
しんどくても行くしかない。
何とか学校に行こう。
這うような気持ちでも、まずは学校にたどり着こう。
いや、気持ちに左右されてはいけない。
機械的に心を無にして学校に行こう。
ありがたいことに、先週と今週は休まずに行けています。
もちろん、元気いっぱいで行けているわけではありません。
朝から、「よし、今日もがんばるぞ」という感じではありません。
どちらかというと、
「今日も何とか行けた」という感じです。
でも、それでも行けている。
今の自分にとっては、それだけでも大きいことです。
いつもなら、朝は校門の前に立って、
「おはようございます」
と子どもたちに挨拶をします。
子どもたちが登校してくる時間に、学校の入り口で声をかける。
それも大事な仕事です。
でも、最近は朝の調子がよくない日があります。
そのため、朝の挨拶の時間を少し休ませてもらうことがあります。
空き教室で、少し横になります。
本当に、ゴロンと横になります。
泥のように目を閉じます。
何も考えないようにします。
心を無にします。
そこで少し休むと、体と気持ちが少しずつ戻ってきます。
完全に元気になるわけではありません。
でも、一時間目には何とか間に合う。
授業や仕事に入れる状態まで持っていける。
そんな感じです。
管理職の先生にも理解していただいています。
しんどいときは、別室で少し休んでもいいよ。
そう言ってもらっています。
本当にありがたいです。
職場の先生方にも、管理職の先生方にも、助けてもらっています。
自分一人で何とかしているわけではありません。
倒れないように、続けられるように、少しずつ調整させてもらっている。
今は、そんな働き方をしています。
僕は今、不登校担当として働いています。
その中で、不登校傾向の子どもたちと関わることがあります。
ある子がいます。
その子は、いつも四時間目の授業までは学校に来ます。
ただ、教室で一日過ごすわけではありません。
一時間目から四時間目までは、別室で過ごしています。
四時間目が終わると、給食を食べます。
その子には仲のいい友達がいます。
その友達と一緒に、空いている教室で給食を食べます。
その後、掃除をして帰ります。
これまでは、掃除場所がトイレ掃除でした。
仲のいい友達も一緒でした。
他の子にあまり会わずに行ける場所でもありました。
だから、その子はトイレ掃除には行けていました。
それだけでも、その子にとっては大事な一歩です。
学校に来る。
別室で過ごす。
給食を食べる。
掃除をする。
そして帰る。
少しずつ、学校生活の中に入っている。
そんな状態でした。
その日、担任の先生がその子に言っていました。
「今日から掃除当番が変わるから、後で教えるね」
僕は、その子の新しい掃除場所を知りませんでした。
掃除が終わった後、その子に聞きました。
「今日、掃除場所変わったんやろ?」
「どこの掃除になったん?」
すると、その子が言いました。
「教室」
僕は、思わず聞き返しました。
「教室?」
びっくりしました。
「え、教室の中に入れたの?」
「教室掃除したん?」
「平気やったん?」
そう聞くと、その子は、
「うん」と言いました。
それだけです。
たった一言です。
でも、僕にとっては、ものすごく大きな一言でした。
その子は、これまで教室に入ることが難しかった子です。
一時間目から四時間目までは、別室で過ごしている子です。
その子が、掃除の時間に教室へ行った。
教室に入った。
教室掃除をした。
そして、「うん」と言った。
これは、すごいことです。
大人から見れば、教室掃除は日常の一つかもしれません。
でも、その子にとっては違います。
教室に入るということ。
クラスの空気の中に入るということ。
自分の役割をするということ。
友達やクラスの子たちがいる場所に、自分も少しだけ入るということ。
それは、とても大きな一歩です。
僕は、その子に言いました。
「すごいやん」
「教室に入れたんやな」
「ゆっくりでいいから、少しずつやっていこう」
本当にそう思いました。
無理に急がせる必要はありません。
明日からいきなり全部教室で過ごそう、という話ではありません。
でも、今日、教室掃除に行けた。
その事実は大きい。
この一歩があれば、また少しずつ教室に入れる時間が増えていくかもしれない。
そんな期待が、少し胸の中に生まれました。
もちろん、学校にはいい話ばかりがあるわけではありません。
その日も、嬉しいことだけでは終わりませんでした。
以前にも書いたことがありますが、廊下を走る子どもたちがいます。
これが、なかなか収まりません。
というより、最近は前よりも走っているように感じます。
雨が続いて、運動場で遊べない日があります。
熱中症指数が高くて、外に出られない日もあります。
そうなると、子どもたちのエネルギーが教室や廊下にたまります。
特に低学年は、もう走りたくて仕方がない。
廊下が、ちょっとした競技場みたいになります。
もちろん、危ないので止めます。
「今、走ったらあかんよ」
「危ないよ」
「止まりなさい」
「歩きなさい」
その場で話をすると、「うん」とは言います。
でも、三秒後には走っています。
本当に三秒後です。
「うん」と言ったその足で、もう風になっています。
廊下でF1を開催しないでほしい。
でも、子どもたちは走ります。
こちらも、言っても言っても追いつきません。
危ない。
ぶつかる。
転ぶ。
けがをする。
そう思うので、何とかしたい。
そこで、昨日から廊下にコーンを置いてみました。
等間隔にコーンを置く。
まっすぐ走り抜けられないようにする。
走ったとしても、途中で止まらざるを得ないようにする。
ぶつかりそうになれば、スピードを落とすしかないようにする。
どこまで効果があるかは分かりません。
でも、言葉だけで止まらないなら、環境を変えるしかありません。
「走るな」と言うだけでは、三秒後にまた走る。
それなら、走りにくい環境を作る。
子どもを責めるだけではなく、場所の作り方を変える。
そういう工夫も必要なのだと思います。
学校の一日は、本当にいろいろあります。
朝は、自分の体が重い。
別室で横になる。
泥のように目を閉じる。
何とか一時間目に間に合わせる。
その後、不登校傾向の子が、教室掃除に行けたことを知る。
「教室に入れたんや」
と驚き、嬉しくなる。
一方で、廊下では子どもたちが走り回っている。
注意しても三秒後には走る。
コーンを置く。
また様子を見る。
うまくいくこともあります。
うまくいかないこともあります。
嬉しいこともあります。
困ることもあります。
ほっとすることもあります。
イライラすることもあります。
学校は、きれいな感動だけでできている場所ではありません。
泥臭いことの方が多いです。
言っても伝わらない。
準備しても崩れる。
注意しても戻る。
やっと一つ進んだと思ったら、別のところで問題が起きる。
そんなことの繰り返しです。
でも、夕方五時を迎えると、ふと思うことがあります。
今日も一日、やりきったな。
朝は、あんなにしんどかった。
本当は休みたいと思っていた。
体も重かった。
気持ちも沈んでいた。
別室で横にならないと、動けなかった。
それでも、何とか学校に来た。
一時間目に間に合った。
子どもと話した。
不登校の子の小さな前進を見た。
廊下を走る子たちを止めた。
コーンも置いた。
仕事をした。
一日を終えた。
そして思います。
今日も来てよかったな。
今日もちゃんと仕事できたわ、俺。
この気持ちは、朝の自分には想像できません。
朝の自分は、とにかくしんどい。
今日一日を乗り切れる気がしない。
もう無理かもしれないと思っている。
でも、夕方には少し違う自分がいます。
来てよかったと思っている自分がいます。
今日も何とかやれたと思っている自分がいます。
それは、とても小さな達成感です。
大きな成果ではありません。
劇的な変化でもありません。
一日で何かが解決したわけでもありません。
不登校の子が明日から急に教室で一日過ごせるわけではありません。
廊下を走る子たちが、明日から全員静かに歩くわけでもありません。
僕のうつ病が、明日から消えるわけでもありません。
でも、それでも今日一日をやりきった。
それだけは確かです。
学校に来た。
仕事をした。
子どもと関わった。
少し嬉しいことがあった。
少し困ったこともあった。
それでも、夕方までたどり着いた。
今の自分には、それが大事です。
教師の仕事は、毎日がうまくいくわけではありません。
むしろ、うまくいかないことの方が多いかもしれません。
こちらの思い通りにはいきません。
子どもは走ります。
忘れ物もします。
話も聞かないことがあります。
不登校の支援も、簡単には進みません。
一歩進んだと思ったら、また止まることもあります。
自分自身の体調も、思い通りにはなりません。
朝から元気に働ける日ばかりではありません。
でも、その中でも、小さな前進があります。
教室に入れなかった子が、教室掃除に行けた。
それだけで、一日が少し違って見えます。
廊下を走る子たちに、コーンを置いてみた。
それも、小さな工夫です。
しんどい朝に、別室で少し休ませてもらった。
それも、働き続けるための大事な調整です。
全部、小さなことです。
でも、その小さなことを積み重ねながら、何とか一日を終えていく。
今の僕にとって、学校で働くということは、そういうことなのかもしれません。
朝は休みたかった。
でも、夕方には来てよかったと思えた。
そんな日がある。
その事実に、少し救われます。
明日の朝も、またしんどいかもしれません。
体が重いかもしれません。
学校に行くのがつらいかもしれません。
でも、今日みたいに、夕方には少しだけ違う気持ちになっているかもしれない。
今日も来てよかった。
今日もちゃんと仕事できた。
そう思える瞬間があるかもしれない。
だから、また明日も、まずは学校にたどり着くところから始めようと思います。
元気いっぱいじゃなくていい。
完璧じゃなくていい。
朝から前向きじゃなくてもいい。
とりあえず行く。
しんどければ、少し休ませてもらう。
できることを一つやる。
子どもの小さな前進を一つ見る。
困ったことには、できる範囲で手を打つ。
そして夕方に、「今日もやりきったな」と思えたら、それでいい。
そんなふうに思った一日でした。













1日に言葉にするとこんなにも出来事があるんですね。
心が動くって、充実した1日になる一つなんですね。