教室を見ていると、
優しい子ほど、
どこかで無理をしていることがあります。
たとえば、こんな場面です。
体育の授業で、
チーム分けをするとき。
AチームとBチームに分かれたあとで、
ある子が言います。
「Aチームがいい」
すでに人数は決まっている。
でも、その子は納得していない。
少し空気がざわつく。
そのときです。
もともとAチームにいた子が、
静かに言います。
「じゃあ、私がBチームに行くよ」
そして、
何事もなかったかのように、
場所を移動する。
一見すると、
とてもいい行動です。
優しい。
気が利く。
空気が収まる。
先生から見ても、
「助かったな」と思う場面です。
でも、
少しだけ引っかかるんですよね。
その子は、本当にBチームでよかったのか。
本当は、
Aチームにいたかったのではないか。
たぶん、
その子はわかっているのです。
「ここで自分が譲れば、場が丸く収まる」
「誰も嫌な思いをしない」
「先生も困らない」
そして、それを選べてしまう。
これ、優しさでもあるのですが、
同時に、
「自分を後回しにする癖」
でもあります。
こういう行動は、
一度では終わりません。
日常の中で、
何度も繰り返されます。
席替え
掃除当番
遊びの順番
グループ分け
少しずつ。
少しずつ。
「まあいいか」で、自分を下げていく。
問題は、
その積み重ねです。
周りから見ると、
その子はずっと「いい子」です。
トラブルを起こさない。
誰とも揉めない。
むしろ、
助けてくれる。
でも実際は、
ずっと調整している。
ずっと空気を読んでいる。
で、ある日。
崩れる。
周りは驚きます。
「なんであの子が?」
「そんなタイプじゃなかったのに」
でも、
その子の中では、
ずっと溜まっていた。
あのときのチーム分けも。
あのときの順番も。
あのときの一言も。
全部、
小さな我慢として残っている。
そして、
限界を超えたときに、
一気に出る。
ぼくは、
あのチーム分けの場面を見るたびに、
少し複雑な気持ちになります。
たしかに、
その場はうまく収まる。
でも、
「その子の中では、何が起きているのか」
は、見えにくい。
優しい子ほど、
壊れることがあります。
それは、
弱いからではありません。
むしろ、ずっと耐えてきたからです。
本当の優しさは、
「自分を消すこと」ではなく、
「自分も守りながら、相手と関わること」
なのだと思います。
だからこそ、
優しい子には、
「譲らなくていい場面」を、
ちゃんと渡す必要があるのでしょうね。





いい子でいようと頑張っていた分、誰にも気づかれないまま抱えてしまうことってありますよね
気づいてあげることの大切さを感じました。
優しい子の優しさに、周りが甘えすぎないことも大事ですね。
その子自身も守れる関わり方、考えさせられました。