今、麦茶を飲みながら、パソコンのモニターと睨み合っている。
画面に映るカーソルは、点滅したまま動かない。
「もっと綺麗な文章を書かな」
「もっとAIを使って効率化せなあかん」
そんな見えない誰かの声が、脳内に響く。
便利になればなるほど、ボクはなぜか「自分自身の泳ぎ方」を見失っていく。
そんな時、ふと神戸の須磨海浜水族園(今はリニューアルしましたが)にいた、一匹のアカウミガメのことを思い出した。
名前は「悠ちゃん」
2008年、紀伊水道で保護されたメスのアカウミガメ。
サメに襲われ、両前肢に大きな欠損を負っていた。
36個の「正解」という摩擦
前ヒレに大きな欠損があるウミガメは、うまく泳げない。
人間たちは彼女を助けようとした。
川村義肢、研究者、獣医、水族館スタッフ。
多くの人が集まり、「ウミガメ用の人工ヒレ」を作るプロジェクトが始まった。
イルカの義尾を参考にしたり、特殊なシリコンを使ったり。
試行錯誤を繰り返し、作られたモデルは実に36種類。
人間は、彼女を「普通の健康なウミガメ」のように、
美しく泳がせようと必死やった。
でも、その人工ヒレは単純な救いではなかった。
締め付ければ、皮膚や筋肉を傷つける。
浮力が強すぎれば、水中で不自然に浮いてしまう。
ジャケット型に変えれば、水との摩擦抵抗が増え、逆に泳ぎを邪魔する。
「直す」はずだった技術が、別の苦しさを生む。
その繰り返し。
もちろん、人工ヒレに意味がなかったわけではない。
最終モデルでは、ヒレなしより泳ぐ速度は改善した。
でも同時に、「完全な回復」には届かなかった。
そして、プロジェクトの中心人物ですら、後年こう振り返っている。
「人工ヒレを着けられた悠ちゃんは幸福だったのだろうか」
「普通」に戻すことが、本当に幸せなのか
悠ちゃんは、完璧な人工ヒレを得られなかった。
でも、それでも生きていた。
須磨の大水槽で、サメの餌を横取りするくらいたくましく。
太平洋を高速で回遊する理想的なウミガメには戻れなかったかもしれない。
でも彼女は、自分の身体に合う泳ぎ方を覚えていった。
ここが、この話の核心だと思うんです。
人間はつい、「普通」に戻そうとしてしまう。
速く
綺麗に
効率よく
でも、生き物にはそれぞれ「その身体に合った泳ぎ方」がある。
それを無視して、外から作った正解を押し込めば、摩擦が起きる。
僕らを傷つける「プラスチックの翼」
今の時代、僕らの周りには「人工ヒレ」が溢れかえってます。
「AIを使えば、誰でも10倍速で記事が書ける」
「このテンプレを使えば、誰でもバズる」
「正しい発信を学べ」
どれも便利です。
実際、AIはかなり役に立つ。
構成整理もできる。
誤字も直せる。
アイデアも広がる。
研究でも、AIは文章の論理性や構成を改善すると言われている。
でも同時に、別の研究では、
AIに頼るほど「自分の文章」という感覚(ownership)が下がるとも報告されている。
つまり、
便利になるほど、「自分の声」が薄くなる危険がある。
これがかなり気になります。
AIが吐き出した正解をそのままコピペするたび、
自分の言葉という皮膚が、少しずつ擦り切れていく。
そんな感覚。
あんたも、一度くらい感じたことありますか。
傷跡こそが、あなたの「錨(いかり)」になる
AIは、欠損のない綺麗なヒレを一瞬で作ってくれる。
だからこそ、これから価値を持つのは、
人工ヒレを外したあとに残る、生々しい「傷跡」です。
仕事を辞めたくて、天井を見つめていた夜
借金の数字を見て、笑うしかなかった瞬間
100円のnoteが売れて、指が震えた日
学校へ行けず、ジャージ姿で公園の鳩を見ていた14日間
それは全部、AIには絶対にシミュレートできない。
ボクの身体を通ってきた「一次情報」です。
綺麗な正解より、
少し傷ついた言葉。
完璧な文章より、
ちゃんと体温のある文章。
人は、そっちに心を動かされる。
AI時代を「脱獄」する方法
僕はAIを否定したいわけやない。
むしろ、かなり助けられている。
でも、AIを自分の身体より上に置き始めた瞬間、
僕らは、自分の泳ぎ方を見失う。
AIは、補助輪にはなる。
でも、人生そのものを代わりに泳いではくれない。
悠ちゃんの物語って、
「技術はダメ」という話じゃないんです。
合わない支援は、人を傷つける
という話だと思う。
だから必要なのは、
誰かの36個の正解に、自分を無理やり押し込むことじゃない。
自分の身体に合う形まで、
技術を引き下ろすこと。
自分の短い腕で、
泥臭く水を掻くこと。
それが、このスマートで冷酷なAI時代を、
ちゃんと「人間のまま」泳ぐための方法なんだと思います。





