6年生になると、子どもたちは急に1年生に優しくなります。
これは、毎年見ていても不思議です。
もちろん、5年生のときにも優しい子はいます。
低学年の子に声をかけたり、困っている子を手伝ったりする姿もあります。
でも、6年生になると、その量が明らかに変わります。
目に見えて変わります。
朝の登校では、1年生と手をつないで歩いています。
下足室では、靴の履き替えを手伝っています。
上靴を出してあげたり、外靴をそろえてあげたりしています。
そして、そのまま1年生の教室まで連れて行ってあげています。
休み時間になると、1年生の教室に行く6年生もいます。
次の教科の準備を一緒に出してあげています。
「これ出すんやで」
「次はこれやで」
そんな感じで、やさしく声をかけています。
一緒に遊んであげている子もいます。
話を聞いてあげている子もいます。
ときには、抱っこまでしてあげています。
見ていると、もう完全にお兄ちゃんお姉ちゃんです。
でも、ここで少し不思議に思うのです。
この子たちは、去年までこんな感じだったでしょうか。
もちろん、優しさがなかったわけではありません。
でも、ここまで目に見えて1年生を可愛がる姿は、あまり見ませんでした。
では、6年生になると、何が変わるのでしょうか。
急に心が成長するのでしょうか。
1年生があまりにもかわいいからでしょうか。
それとも、「最高学年」という役割が、子どもたちの中に眠っていた優しさを引き出すのでしょうか。
ぼくは、最後の理由がかなり大きいのではないかと思っています。
かわいいだけでは、説明できません
1年生は、たしかにかわいいです。
ランドセルが大きく見えます。
歩くスピードもゆっくりです。
荷物の出し入れにも時間がかかります。
何かを探しているだけでも、少し困っているように見えます。
その姿を見ると、6年生が手伝いたくなるのは自然です。
「かわいいから助けたい」
これは、かなりあると思います。
でも、それだけでは説明できません。
なぜなら、その1年生は去年もいたからです。
もちろん、今の1年生ではありません。
でも、低学年の子は去年も学校にいました。
それでも、5年生のときには、ここまで目立って関わる姿は多くなかったのです。
それが6年生になった途端、急に変わる。
ここが面白いところです。
つまり、1年生がかわいいからだけではなく、6年生側に何かが起きているのです。
役割が、子どもを変えるのだと思います
6年生になると、子どもたちは学校の中で一番上になります。
これは、けっこう大きな変化です。
昨日まで5年生だった子たちが、4月になった瞬間に最高学年になります。
急に身長が伸びるわけではありません。
急に性格が変わるわけでもありません。
急に大人になるわけでもありません。
でも、学校の中での立ち位置は変わります。
「あなたたちは最高学年です」
「1年生を助ける側です」
「学校を引っぱる側です」
そういう空気を、子どもたちは受け取ります。
先生が言葉で伝えることもあります。
でも、それ以上に、学校全体の空気として伝わっているように感じます。
6年生は、1年生を助けるものです。
6年生は、小さい子にやさしくするものです。
6年生は、学校の中で頼られる存在です。
そういう目に見えない約束みたいなものが、学校にはあります。
校則のように紙に書かれているわけではありません。
毎日、誰かが大声で命令しているわけでもありません。
でも、子どもたちはなんとなく知っています。
そして6年生になると、その役割を自然に受け取っていきます。
「自分たちは、もう一番上なんだ」
たぶん、その感覚があるのでしょう。
この感覚が、子どもたちの行動を変えているのだと思います。
優しさは、急に生まれたわけではありません
6年生になったから、急に優しさが生まれたわけではないと思います。
優しさ自体は、もともとその子たちの中にあったはずです。
でも、5年生のときには、それを出す場面が今ほど多くなかったのでしょう。
1年生が困っている。
自分が助ける。
相手が安心する。
先生や周りの子が、それを見ている。
そういう場面が増えると、子どもたちは自分の中にある優しさを使うようになります。
そして、使えば使うほど、優しさは自然に出てくるようになります。
ここは、かなり大事だと思います。
子どもは、優しくなってから優しい行動をするだけではありません。
優しい行動をすることで、自分が優しい人間になっていくところもあります。
1年生の手を引いて歩く。
靴を履き替えるのを待ってあげる。
教室まで連れて行く。
準備を一緒にしてあげる。
こういう小さな行動の積み重ねで、6年生の中に「自分は助ける側なんだ」という感覚が育っていくのだと思います。
人は、役割をもらうことで変わります。
子どもも同じです。
「最高学年」という役割が、その子の中にあるお兄ちゃんお姉ちゃんの部分を引き出しているのでしょう。
学校には、心の中の伝統があります
学校には、目に見えるルールがあります。
登校時間
持ち物
掃除の仕方
給食の準備
廊下の歩き方
そういうものは、わかりやすいです。
でも、学校には目に見えない伝統もあります。
6年生は1年生にやさしくする。
上の学年が下の学年を助ける。
困っている子がいたら声をかける。
そういうものです。
誰かが毎日黒板に書いているわけではありません。
でも、毎年、自然に受け継がれていきます。
去年の6年生が、今の6年生に見せていた姿があります。
その前の6年生も、同じような姿を見せていたのでしょう。
そうやって、学校の中には、言葉にならない文化が残っていきます。
これ、けっこうすごいことです。
大人の社会でも、こういうことはあります。
新人にやさしくする職場もあれば、そうではない職場もあります。
困っている人を自然に助ける空気のある場所もあれば、見て見ぬふりが普通になっている場所もあります。
人は、環境の空気を吸って育ちます。
学校も同じです。
6年生が1年生にやさしくする学校には、そういう空気があるのだと思います。
それは、先生だけが作っているものではありません。
子どもたち自身が、毎年少しずつ作っているものです。
1年生の前で、6年生は6年生になります
6年生は、1年生にやさしくしてあげているように見えます。
もちろん、それはその通りです。
でも、別の見方をすると、1年生が6年生を育てているようにも見えます。
1年生が困っているから、6年生は助けます。
1年生が不安そうにしているから、6年生は声をかけます。
1年生ができないことがあるから、6年生は待ってあげます。
その中で、6年生は少しずつ6年生になっていきます。
「自分がしっかりしないと」
「この子を教室まで連れて行ってあげよう」
「次の準備を一緒にしてあげよう」
そう思うことで、子どもたちは自分の姿勢を変えていきます。
つまり、6年生は1年生を助けながら、自分自身も成長しているのです。
ここが学校の面白いところです。
教える側が、教えられていることがあります。
助ける側が、助けられていることがあります。
1年生がいるから、6年生はお兄ちゃんお姉ちゃんになれるのです。
小さい子の存在が、大きい子の中にある優しさや責任感を引き出しているのだと思います。
男の子も女の子も、ちゃんとやさしい顔になります
見ていて面白いのは、男の子も女の子も、1年生の前では表情が変わることです。
普段は友だち同士でふざけている子がいます。
少し乱暴な言葉を使う子もいます。
自分のことだけで精一杯に見える子もいます。
でも、1年生の前に立つと、急に声がやわらかくなります。
歩くスピードを落とします。
しゃがんで目線を合わせます。
「大丈夫?」
「こっちやで」
「これ持てる?」
そんなふうに話しています。
その姿を見ると、少し驚きます。
ああ、この子にはこんな顔もあるのか。
そう思うことがあります。
子どもというのは、ひとつの顔だけではありません。
友だちの前の顔
先生の前の顔
家での顔
下級生の前の顔
いろんな顔があります。
6年生になって1年生と関わることで、その子の中にある別の顔が見えてくるのです。
これも、学校で見ているからこそ感じられる面白さです。
大人も、役割で変わります
これは子どもだけの話ではないと思います。
大人も、役割で変わります。
親になると、親らしくなっていきます。
先輩になると、後輩に教えるようになります。
リーダーになると、全体を見るようになります。
もちろん、最初から完璧にはできません。
でも、その役割を引き受ける中で、少しずつその人らしくなっていくのです。
6年生も同じです。
最初から完璧な最高学年ではありません。
不安もあります。
失敗もします。
まだまだ子どもです。
でも、1年生の前に立つとき、その子たちは少しだけ背筋を伸ばします。
そして、その背筋を伸ばす経験が、成長につながっていくのだと思います。
「成長したから役割を任される」
それもあります。
でも同時に、
「役割を任されるから成長する」
ということもあります。
6年生と1年生の関わりを見ていると、そのことを強く感じます。
これは、通知表には書ききれない成長です
学校では、いろいろな力を見ます。
勉強ができるか
字が丁寧か
発表できるか
友だちと協力できるか
係の仕事ができるか
そういうものは、ある程度わかりやすいです。
でも、1年生にそっと寄り添う6年生の姿は、数字にはしにくいです。
テストの点数には出ません。
通知表にも、細かくは書ききれません。
でも、そこには確かに成長があります。
下足室で、1年生の靴をそろえてあげている。
朝、手をつないで歩いている。
休み時間に教室まで様子を見に行っている。
準備が遅れている子を待ってあげている。
こういう姿には、その子の成長が出ています。
ぼくは、こういう場面を見るのが好きです。
派手ではありません。
大きな事件でもありません。
でも、学校の中で静かに起きている、とても大事な変化です。
6年生は、1年生の前で少し大人になります
6年生が1年生に優しくなるのは、ただ1年生がかわいいからだけではないと思います。
もちろん、かわいいのです。
小さくて、まだ学校に慣れていなくて、ランドセルも大きく見えて、見ているだけで手伝いたくなるのでしょう。
でも、それだけではありません。
6年生は、1年生の前に立つことで、自分が6年生であることを知るのだと思います。
小さい子に優しくする中で、自分の中にあるお兄ちゃんお姉ちゃんの部分に気づいていく。
最高学年という役割が、その子たちの優しさを外に引き出している。
そんなふうに見えます。
学校という場所には、こういう不思議な成長があります。
ある日突然、子どもが別人になるわけではありません。
でも、役割を持った瞬間に、今まで見えなかった一面が表に出てくることがあります。
6年生になる。
1年生が入ってくる。
学校で一番上になる。
その流れの中で、子どもたちは少しずつ、自分の役割を受け取っていきます。
そして、1年生にやさしくすることで、自分も少し大きくなっていくのです。
子どもは、役割をもらうことで、少し大人になるのかもしれません。
朝の下足室で、1年生の靴をそっとそろえてあげている6年生を見ながら、そんなことを思いました。











心ができる場所は、環境を作ってることで、
将来への成長につながりますね!