今日は、学校の永遠の課題について書こうと思います。
それは、
廊下を走る子どもたち
です。
教師をしていると、毎日のように見ます。
廊下を走る子
角を曲がる時も走る子
階段の近くでも走る子
チャイム前になると、さらに走る子
もう、廊下を見ると走らずにはいられないのかと思うくらい、子どもたちは走ります。
もちろん、廊下を走るのは危ないです。
人とぶつかる。
転ぶ。
角から出てきた子と衝突する。
小さい子にぶつかる。
階段の近くだと、本当に怖い。
今のところ、大きな事故になっていないのは、たまたま運がいいだけなのかもしれません。
だから、僕たち教師は何度も注意します。
「廊下は走りません」
「歩きなさい」
「危ないで」
「右側を歩こう」
毎日のように言っています。
その時は歩きます。
でも、少し離れるとまた走る。
教師あるあるです。
言った直後だけ、優等生歩き。
三歩後には、風になる。
学校には、長い廊下があります。
一階にも、二階にも、三階にも。
まっすぐ続く長い廊下。
子どもからすると、あれはもう、走路に見えているのかもしれません。
大人から見れば廊下。
子どもから見れば直線コース。
「ここを走らずして、どこを走る」
みたいな気持ちになるのでしょうか。
いや、ならなくていい。
運動場でお願いします。
もちろん、学校もいろいろ対策をします。
廊下にコーンを置く。
「廊下は走りません」という札を立てる。
掲示物を貼る。
子どもたちにポスターを作らせる。
「右側を歩こう」と呼びかける。
でも、なかなか効果は続きません。
コーンを置けば、蹴る子がいる。跳び箱にして跳ぶ。
札を置けば、触る子がいる。何本も折る。
掲示物を貼っても、見るのは最初だけ。
そのうち風景になります。
学校の廊下には、たくさんの願いが貼られています。
でも、子どもたちはその前を走り抜けていきます。
では、なぜ子どもは廊下を走るのか。
たぶん理由はいくつかあります。
まず、急いでいる。
チャイム前の音楽が流れる。
「あ、戻らなあかん」
そう思った瞬間、走る。
次に、楽しい。
友達が前を走る
追いかける
追い抜く
笑う
もうそれだけで遊びになる。
そして、体が勝手に動く。
子どもはエネルギーのかたまりです。
歩けと言われても、体が走りたがっている。
特に休み時間のあとなんて、心も体もまだ遊びモードです。
そこから急に学校モードに戻るのは、簡単ではありません。
でも、危ないものは危ない。
そこは変わりません。
「子どもだから仕方ない」
だけでは終われない。
走りたい気持ちはわかる。
でも、廊下は走る場所ではない。
これは何度でも伝える必要があります。
運動場では、どんどん走っていい。
体育の時間にも走ればいい。
でも、廊下は違う。
廊下は、いろんな子が歩く場所です。
急いでいる子もいる。
小さい子もいる。
荷物を持っている子もいる。
体調が悪い子もいる。
先生もいる。
ぶつかったら、どちらかが痛い思いをする。
だから、歩いてほしい。
児童朝会などでも、何度も話をします。
「廊下は右側を歩きましょう」
「走ると危険です」
「自分だけでなく、周りの人も大切にしましょう」
正しいことです。
でも、正しいことを言ったからといって、すぐ行動が変わるわけではありません。
ここが難しい。
子どもは知っています。
廊下を走ってはいけないことは、たぶん知っています。
でも、走る。
つまり、知識の問題だけではないのです。
習慣
衝動
友達との関係
時間の焦り
楽しい気持ち
そういうものが重なると、「歩く」という判断がどこかへ飛んでいく。
中学校や高校になると、廊下を全力で走る生徒は少なくなる気がします。
もちろん、ゼロではないでしょう。
でも、小学校ほどではない。
ということは、成長とともに少しずつ変わっていく部分もあるのだと思います。
自分の体をコントロールする力。
周りを見る力。
危険を予測する力。
恥ずかしさ。
落ち着き。
そういうものが、少しずつ育っていく。
小学生は、その途中にいるのだと思います。
だからこそ、何度も伝える必要がある。
怒るだけではなく、育てる必要がある。
ただ、現場の本音を言えば、
やっぱり腹は立ちというか危ないから守ってほしい。
何回言わせるねん。
さっき言ったやん。
そのコーンは走らないために置いてるんであって、蹴るためのアイテムちゃうねん。
と思うこともあります。
でも、それでもまた言う。
また止める。
また歩かせる。
それが学校の日常です。
廊下を走る子どもたち。
これはたぶん、学校の永遠の課題です。
でも、永遠の課題だからこそ、毎日少しずつ伝えるしかない。
「歩きなさい」
その一言の中には、
ただのルールではなく、
「あなたも、周りの人も、ケガをしないでほしい」
という願いが入っています。
廊下は走る場所ではありません。
でも、子どもたちは今日も走ります。
だから、僕たちは今日も言います。
「廊下は歩きなさい」
たぶん明日も言います。
明後日も言います。
もしかしたら、来年も言っています。
それでも、いつかその子たちが、
「あ、ここは走ったら危ないな」
と自分で気づける日が来るまで。
学校の廊下で、今日もまた声をかけていこうと思います。











走ることが心を(脳)満足させる。
人間の脳は否定語を理解できないので、走ってはいけない。は、いけないが理解できずに、脳に残るのは「走って」になる。
してはいけないことは、その逆をしたときのご褒美、報酬があれば「脳」はそっちをする。
ルールを守ったときの報酬を考えて準備したいですね😊
先日子どもたちを家の前で遊ばせていたら遊びに夢中になり、二人とも同時に道路に飛び出そうとしました。ちょうど車が接近していて、息子は静止できましたが、娘は手が届かず足を掛けて転ばせるカタチになってしまいました。日頃から口酸っぱく言っているし、その後「なんで左右を確認しないんだ!お前死んでたぞ!」と烈火のごとく叱りましたが、またやるんだろうなぁ、と思っています。思い返せば自分もそうでした。少しずつ積み上げていくしかないですね。それが大人の役目ですね💪