以前、運動会である子が自分の足で一歩を踏み出した話を書きました。
学校に来ることが難しかった子が、
別室で動画を見るところから始めて、
体育館の近くまで行き、
運動場の端まで行き、
最後には、みんなと一緒にダンスを踊ることができた。
そんな話です。
あの日、その子は本当によく頑張りました。
そして、今日はその続きの話を書こうと思います。
ボクは学校で不登校担当という役割をしています。
学校に行きにくい子。
教室になじみにくい子。
学校に来ても、すぐには教室に入れない子。
そういう子たちが学校へ来た時に、少しでも安心して過ごせるように関わる仕事です。
もちろん、学校に来ることだけが正解だとは思っていません。
学校の外に通える場所がある。
家で落ち着いて過ごせる。
誰かとつながれる場所がある。
それも、その子にとって大事な生活です。
だから、
「学校に来られたら成功」
「来られなかったら失敗」
という見方は、なるべくしたくありません。
ただ、その子が自分から、
「学校に行ってみようかな」
と思った時には、その気持ちを大事にしたいと思っています。
運動会が終わったあと、学校は代休になりました。
その翌日。
さらにその次の日。
その子は学校には来ず、いつも通っている学校外の教室へ行っていました。
ボクは、
「そりゃそうやろな」
と思っていました。
運動会であれだけ頑張った。
あれだけ緊張した。
あれだけ大勢の人の前に出た。
きっと、かなり疲れている。
しばらくは学校に気持ちが向かなくても当然だと思っていました。
また行きたいと思った時に、来てくれたらいい。
それくらいの気持ちでいました。
ところが、数日後。
お母さんから連絡がありました。
これから、朝の一時間だけ、毎日学校に来てみたい。
そんな話でした。
僕は少し驚きました。
また、すごく頑張ろうとしている。
そう思いました。
その話を担任の先生から聞いたあと、もう1つの話も聞きました。
学年の先生がその子との関わりに消極的ということ。
本来なら、その子が在籍している学年や、支援を担当する先生たちが中心になって関わるのが自然です。
最終的に、その子がつながっていく先は、ボクではありません。
担任の先生
学年の先生
支援を担当する先生
その子が日々過ごしていく場所の先生たちです。
ボクは不登校担当として関わります。
でも、ずっとその子のそばにいられるわけではありません。
だからこそ、
「この子が戻っていく先とのつながりを、どう作っていくか」
は、とても大事だと思っています。
正直に言うと、消極的になる意味がわからないと思いました。
その時は、「なぜだろう」と思いました。
学校に来ようとしている子がいる。
その子が勇気を出している。
だったら、その勇気をみんなで受け止めたい。
そんなふうに思いました。
ただ、誰かを責めたいわけではありません。
先生たちにも、それぞれ事情があります。
忙しさもあります。
難しさもあります。
それでも、少しずつでいいから、
その子が学年や担任の先生とも安心してつながれるようにしていきたい。
そう思っています。
その子は、その日も一時間、学校で過ごしました。
ボクは別の学年の授業があったので、ずっと一緒にいることはできませんでした。
でも、ちゃんと一時間過ごし、帰っていったそうです。
それを聞いて、
「また一つ積み重なったな」と思いました。
運動会で踊れたことがゴールではなかった。
その経験が、
「学校に少し行ってみようかな」
という次の気持ちにつながっていた。
一歩のあとに、また一歩が生まれていた。
それが、とても嬉しかったです。
学校という場所は、毎日同じように動いているように見えます。
朝、子どもが来る。
授業をする。
給食を食べる。
掃除をする。
帰る。
時間割に沿って、規則正しく進んでいるように見えます。
でも実際は、急に起こる出来事ばかりです。
今日は来られた。
今日は来られなかった。
教室には入れた。
でも、明日は難しいかもしれない。
昨日は笑っていた。
今日は不安そうにしている。
子どもの気持ちは、時間割のようには動きません。
だから学校は、毎日少しずつ違います。
その日、もう一つ出来事がありました。
別の子が、朝から学校に行きにくくなっていました。
少し登校するのが遅れてしまった。
そうなると、ますます学校へ行きたくなくなる。
お母さんから、
「頑張って行こう」と言われる。
すると、今度はお腹が痛くなる。
トイレにこもる。
行きたい。
でも、行きたくない。
行かなければと思う。
でも、体が動かない。
そんなやり取りが続いたそうです。
その子が学校に来たのは、四時間目の頃でした。
門の前で、お母さんと一緒に待っていました。
表情はかなり硬かったそうです。
そこに教頭先生が居合わせて、ボクを呼んでくれました。
ボクがその場に行くと、その子の表情が少し変わったそうです。
安心したような顔になった。
少し笑顔になった。
あとで教頭先生から、
「先生には、かなり気持ちを許している感じがしました」
と言ってもらいました。
それを聞いた時、少し嬉しくなりました。
その子とは、別室で少し話をしました。
遊びもしました。
学校のことだけではなく、いろいろな話をしました。
その部屋には、安心して過ごせる時間があります。
でも、ただ楽をするだけの場所にはしたくありません。
好きなことだけをして、嫌なことから逃げるための場所でもありません。
自分の気持ちを整える。
少し休む。
次にどうするか考える。
そして、できそうなら一歩進む。
そういう場所でありたいと思っています。
その日は、二十分ほど別室で過ごしました。
そして僕が、
「十二時になったら教室に行こうか」
と声をかけると、その子は、
「うん、わかった」
と答えました。
ほとんどしぶる様子はありませんでした。
ランドセルを背負い、そのまま教室へ向かいました。
授業の途中から入るのは、嫌なんじゃないかな。
ボクは少し心配して、後ろからついていきました。
でも、その子は教室の前で止まりませんでした。
するすると中へ入っていきました。
友達から、
「おはよう」
と声をかけられながら、そのまま教室で過ごすことができました。
子どもの力って、すごいなと思いました。
ボクは最近、この仕事の面白さを感じています。
安心できる場所を作る。
安心できる大人になる。
その子が、
「この人がいるなら、少し行ってみようかな」
と思える存在になる。
それは、すぐに結果が出る仕事ではありません。
派手でもありません。
でも、ある日突然、
その子の表情が少し柔らかくなる。
教室へ向かう足が少し軽くなる。
そんな瞬間があります。
その時、
これまでの関わりが、少しずつ積み重なっていたんだなと思います。
ただ、難しさもあります。
別室が、ただの逃げ場所になること。
そこに行けば何もしなくていい場所になること。
それは避けたいと思っています。
安心できる。
でも、ルールもある。
休める。
でも、自分の気持ちが整ったら、次の一歩も考える。
そのバランスが大事です。
今回の二人の子は、そのことをよくわかっているように感じます。
無理はしない。
でも、できそうな時には少し進む。
それを自分で選んでいる。
そこが、とてもいいなと思います。
運動会で一歩を踏み出した子は、そのあとも学校へ来ようとしている。
朝、学校に来られなかった子は、別室で気持ちを整えたあと、教室へ入ることができた。
どちらも、誰かに無理やり行かされたわけではありません。
自分で選んだ一歩です。
その一歩を支える場所。
その一歩を待てる大人。
その一歩を受け止める教室。
学校には、そういうものが必要なのだと思います。
前回は、
運動会である子が自分の足で一歩を踏み出した話を書きました。
でも、本当に大事なのは、その一歩のあとです。
次の日。
その次の日。
また学校に来たいと思えるか。
来られない日があっても、また戻ってこられるか。
教室に入れなくても、つながりが切れないか。
一歩を踏み出した子が、次の一歩を選べるように。
これからも、そっと横を歩いていきたいと思います。










本当にいい先生だ。
その一歩がどれだけでかいか、よくわかります。
本当に素敵な記事でした😢
子どもの自己決定を支えて見守る先生や大人が多いと、安心が育ちますね☺️✨自分で選んだことを尊重している親御さんも素敵だなぁ、と思いました🌱✨