かめ先生です。
今日は、僕の「敗北宣言」であり、同時に「宣戦布告」でもある話をします。
結論から言うと、僕は今日まで14日間、現役の小学校教師という職務から「逃走」していました。
2週間。 49歳、勤続19年のベテラン。 真っ昼間にジャージ姿で公園のベンチに座り、鳩を眺めている。
世間から見れば、もはや「終わった人間」でしょう。
でも、この泥水をすするような空白の14日間に、僕はあることに気づいてしまったんです。
身体が「行くな」と絶叫していた14日前の朝
14日前の朝のことを、僕は一生忘れません。
目が開いている。天井が見える。 でも、身体が1ミリも動かない。
重力じゃない。 「教師として正しくあらねば」と19年間、無理やり飲み込んできた嘘や妥協が、鉛になって全身にのしかかってきたような感覚。
「行かなあかん」
頭では分かっている。管理職には、震える手でスマホを握り「今日も休みます」と連絡を入れる。電話を切った後の、あの心臓が抉られるような脱力感。
「この仕事、もう無理なんじゃないか。」
何度も繰り返してきた休職と復職のループ。その絶望が、冷たい霧のように僕を包んでいました。
7,000人。これは、ひとりの話じゃない。
少し、冷たい数字を見てほしい。
文部科学省の調査によると、2024年度に精神疾患で休職した公立学校の教員は7,087人。過去最多だった前年度とほぼ同水準で、高止まりが続いている。
7,087人。
これは統計の話じゃない。 今この瞬間も、震える手でスマホを握り、管理職に「休みます」と伝えている誰かの話だ。
僕もそのひとりです。
そしておそらく、これは氷山の一角に過ぎない。メンタルをやられながら、それでも出勤し続けている教師が、この数字の何倍もいる。
しんどいけど、辞められない。 このままも嫌だ。 でも、動けない。
その沼に、何万人もの教師が今日もはまっている。
ジャージ姿の「異物」として、公園に座る
くたくたになったジャージを引っ張り出し、公園へ向かいました。
登校していく子どもたちの賑やかな声。 足早に駅へ向かう通勤客。
その光景を、僕は境界線の「外側」から眺めていた。 まるで、異物みたいに。
意味もなく地面をつつく鳩を、ただ見つめる。
思考は、過去と未来を泥沼のように行き来します。 「復職してすぐにこれか」 「家族はどうなる?」 「あと何年、この地獄を耐えるつもりだ?」
19年のキャリア。400万から600万という退職金。 それが、僕の首を絞める「鎖」に見えた。吐き気がした。
でも、ベンチで気づいた。
冷たい風に吹かれながら、ぼんやり鳩を眺めていたとき。
ふと思ったんです。
「これは逃げか?」
違う。
これは、自分と家族の尊厳を守るための、外科手術だ。
知的障害を持つ長男の、あの支離滅裂で愛おしい言葉録。 家で待っている3人の子ども。
そいつらを守るために、僕は「今の戦場」から一歩引くことを、主体的に選択したんだ。
逃げるんじゃない。 新しい道を、今ここで工事しているんだ。
そう思った瞬間、身体の重さが、ほんの少しだけ軽くなりました。
「選べる状態」を作ることが、唯一の出口だった。
ベンチに座りながら、僕はずっと考えていた。
辞めたい。でも辞められない。 休みたい。でも休んでいる自分が怖い。
この二項対立の罠から抜け出すには、「選べる状態」を作るしかない、と。
今すぐ辞める必要はない。 でも、辞められる準備だけはしておく。 そのための発信を続ける。 そのための「逃げ道」を、少しずつ工事していく。
この14日間、僕がベンチで鳩を眺めながらやっていたのは、そういうことです。
かっこいい話じゃない。 泥臭くて、情けなくて、ジャージ姿の話です。
あなたの「重さ」は、魂のサインだ。
もし今、朝に身体が動かないなら。
それはあなたが無能だからじゃない。弱いからじゃない。
あなたの魂が、「その道はもう、あなたの居場所じゃない」と叫んでいるサインです。
「選べる状態」を作ることは、誰かに許可をもらうことじゃない。
現役の教師が、ジャージ姿で公園に座る覚悟を持つことから、全ては始まります。
僕は、まだ暗闇の中にいます。 でも、この14日間で「出口」の場所だけは見つけました。
「選べる自分」になるための設計図を、僕はこれからも描き続けます。
かっこ悪いジャージ姿のまま。
かめ先生
参考:文部科学省「令和6年度公立学校教職員の人事行政状況調査」(2025年12月22日公表)



